ごろ寝発電

”experience is everything" イランカラプテ(╹◡╹)

A Whole New World:まったく新しい世界

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3月は本当にしんどかった。倒れちゃいました。その後もとにかくお身体様が絶不調でほとんど1か月起き上がれない日々が続いた。

 

4月は仕事月。これでもかと自分を労りながら周りに「甘えて」「頼って」「泣きついて」感謝しつつ仕事月を乗り切っている。

 

そのことで有益な記事を3、4発書けそうだけど旬が過ぎたのでもういい。それより後日どうなるか分からないので今現在の状況を記録しておく。

 

病の恩恵

3月倒れてから行動も食事もだいぶ制限がかかるようになった。詳しい内容は割愛するが今後好転することはなくこれ以上悪化させないようにするしかないらしい。

 

割とヘビーな状況なのだが、動ける時間に制限がかかることで逆に仕事や生活の生産性が上がった。

 

使える体力に限りがあるので必要なことしかできない。集中力が増してノイズが消える。明らかに倒れる前と感覚が違う。本質的なこと以外にかまっている体力がない。

 

人生には限りがある、という当たり前の事が「体感として」腹に落ちるとこんなにも世界はシンプルなのかと驚いている。「大事なこと」だけ。ほとんどのことはどうでもいい。

 

 そんな中でも何故かやたらと神社に行かされる。急に「行かなくちゃ」がやってくるから行くしかない。逆らってもどうせ行くことになる。今回は鹿島神宮香取神宮、息栖神社。そして昨日の出雲大社

  

「わかりました」×10

どこの神社でも時間があれば正式参拝する。なのに一番縁の深い出雲大社(私の過去世は出雲系)は大祭への参加を除いて今回初めて正式参拝をした。

 

いろんなご祈祷を見てきたけれど出雲大社はめちゃくちゃかっこいい。わー、かっこいいなー、テンション上がる!と思って聞いていたら急に暑くなって汗がでてきた。

 

しばらくすると自分の心の深いところが何回も「わかりました」「わかりました」「わかりました」と誰かに返事している。

 

何が分かったのか私にはまったく分からないけどツッコミを入れる雰囲気でもない。涙が出てきて「ああ、今、何らかの契約をしたのだな」とだけ分かった。

 

できれば表面の私にも分かるように教えて欲しい。いつも行動の後にしか教えてもらえない。最終的に「ああ、そうだったのか。よくできてるな」となるのはお約束。もう慣れたけど、でもやっぱりバンジー飛ぶ時は怖いのだ。怖いけど笑える。

 

 

ここから先

ここから先、もちろんまったくの謎。だけどはっきりと分かっているのは何かが終わったということ。そして新しく始まるということ。誰もが自分自身を生きていい、といこと。反転する世界。

 

もはや外部から得る情報も知識も必要ない。

これまでのすべての事は

これから始まることのためにあったのだ。

 

知識を得るために誰の本も誰のブログも読む必要はない。

どうせシンクロしているだけだからね。

 

「この本にも書いてあったよ」

「○○さんもそう言ってたよ」

どうでもいい。

そんなのマジでどうでもいい。

 

「あなたが」何を体験してどう感じたか、それしか要らない。

私は「あなた」と話しているのだ。

 

「道を知ってるだけ」になんの意味があるというのだ。

「道を歩く」ことにしか意味はないよ。

 

自分のど真ん中だけを信じて歩く。

誰とも違う、だけど平凡でありふれた、それぞれの素晴らしい日常。

 

比較と承認欲求と特別な何かでなくては、という古い時代は終わりました。

 

もう、必要ないでしょう?

覚悟できた?

 

いざ、まったく新しい世界へ。 

youtu.be

 

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旅に病んで夢は湯治を駆け巡る

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数日前までは「自然に癒されるー」とかヌルいこと言ってたなー。(遠い目)

 

青森県の八戸から五所川原を経て今は秋田県八幡平の後生掛温泉で憧れの雪の中の湯治中である。

 

昔ながらの湯治場で地熱で床が温まっているオンドル部屋がある。温泉も種類豊富で「馬で来て足駄で帰る後生掛」というほど効果があるらしい。

 

旅館部と湯治部に分かれていて旅館部は建物も食事もなかなかいい。が、無論私は自炊の湯治部である。

 

部屋はこんな感じ。大部屋もあるけど1週間なので個室にしてみました。

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ちょっとだけゴザをめくると即、大地。 

ワイルド!!

指宿の砂風呂の上に暮らすようなずっと岩盤浴な感じかな。そこにあえて薄い布団で寝る。薄い布団や暑さがダメな人もいるようだ。

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寝てるだけで効果があるらしい。部屋で寝てるだけで汗ばむ。外は吹雪で氷点下なのに。あれも自然。こちらも自然。

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数日はひたすら寝て汗かいて起きて温泉入ってごはん食べて軽く呑んで寝て起きてごはん温泉を繰り返していた。

 

他の湯治客の心地よい秋田弁を聞きながら隣の部屋のギンギラギンにさり気ない「かっちゃ」(母ちゃん)たちに世話を焼いてもらいながらゆるゆると過ごしていたら急にめまいで動けなくなった。

 

ほとんど同時に顔中が湿疹で真っ赤にただれたようになった。ブツブツもすごい。ここに載せたいがあまりに凄すぎて自粛するほどだ。

 

うんうんと唸りながら「お身体さま、お許しください。これまで不摂生にも程がありました。改めますので何とぞこの辺で許してやって下さい」とお願いするも聞き届けてくれやしない。今回ばかりは笑い飛ばす気力もない。

 

く、苦しい。久しぶりに本気でつらい。

 

7日目の今、憑き物が取れたようにスカッとしている。あれは好転反応だったのだろう。

 

顔の腫れと湿疹は「にんにくのおばさん」と呼ばれる方から「熊の油」なるものを分けてもらって塗ってから少し腫れが引いてきたがまだまだものすごい。痒いし。

 

以前検査で引っかかって要経過観察だったのをすっかり忘れていた部分も急に痛んだので大阪に戻ったら一応検査に行ってみよう。

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ゆったりまったり温泉で癒されよう!なんてカジュアルに湯治してみたらやたら大変な目に合った。が、めまいが和らいでいる今、悪いものを大地が吸い取ってくれたような気がしている。

実に爽やかである。 

さすが後生掛。

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隣のかっちゃ達は10日も居るのに何事もなく「肌ツルツルだぁ」と笑っている。よほど私には何かが溜まっていたのだろう。

ここでいつも忘れてしまう。苦しかったことも楽しかったこともその時思ったこともすぐ忘れてしまう。なので書き記しておく。

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自然は時に厳しくもあるが最終的には恵みをくれる。

調子の悪い時の謙虚さを忘れないこと。

全てのものに敬意を払うこと。

自分のものなんて何一つなく、自分で成し遂げたことなど何一つない。

 

私も自然の一部としてあらゆるものを受け入れてさらさらと生きていきたい。

 

現場からは以上です。

 

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あなたの心にそっと触れさせて下さい。

突然にケルトが気になって次に日本の神様が気になって今はアイヌが気になって気になって仕方ない。ケルトアイヌ。うずまき。

 

八戸の友人が講師を招いてアイヌ刺繍のワークショップをやるというので行ってみた。

 

ふっちゃんとマーボー。

f:id:kazumi1000:20180219171206j:plainふっちゃんはマイ盃を持ち歩き酒を呑み歌を歌う。その歌がすごい。永遠の3歳。無邪気すぎる70歳。ふっちゃんとは翌日もひたすら酒を呑んだ。最強の呑み友達ができて嬉しい。生前葬もお済みになられたとのこと。行きたかった!

 

マーボーは子供にも敬語で話をする。「こんにちは。僕、マーボーって呼ばれてます」と4歳の子供に自己紹介する。妻のふっちゃんが大好きな60歳。

 

とにかく最高な2人でめっちゃカッコいいのだ。

 

ワークショップはマーボーのアイヌ語での「こんにちは」から始まった。イランカラプテ。直訳すると

 あなたの心にそっと触れさせて下さい。

 

これまでこんな風に繊細な気持ちで人と接したことがあったかな。人と出会うということは、その人の心に触れるということ。だから傷つくことも傷つけることもある。喜びをもらうことも与えることもある。故に祈る。願う。相手への敬意と優しさ。アイヌの在り方とその世界観。こんな風に出会った人々と丁寧に接して生きていけたら。きっといま見えている世界が一瞬で変わるだろう。

 

アイヌの人々はひと針ひと針相手を想って刺繍をする。狩に行く男たちの無事を祈って、家族の健康を願って、花嫁の幸せを願って、ひと針ひと針。

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私の場合は夫の靴を磨く時にそういう気持ちになる。長旅に出る前は特に念入りに磨く。靴底のすり減り方に背が高くて猫背な夫の歩き方のクセを想う。感謝しかないこの時間は至福である。

 

針仕事は絶対向いてないので1万回くらい指を刺すだろうと恐れていたが5回刺したくらいで済んだ。みんなでやると手仕事って楽しい。

 

薪ストーブとアイヌ刺繍と歌と餅つき!そして大盛況の懇親会。子供の大騒ぎ。さらにファイヤーダンス。なんともカオスな一日で良き旧正月でした。麻央ちゃんありがとう。

 

アイヌ、とは「人間」という意味だそうだ。アイヌ以外はほとんどがカムイ。つまり神。

 

ただ「人間」であるだけ。

それだけ。

 

どんな仕事をしているとか何をしているとかどこの国の人だとかそういう表面的なラベルはどうでもよくてただ「人間」。では「人間」ってなんだろう。私はちゃんと「人間」としてまっすぐに存在できているだろうか?

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経済を回す為に見えにくくされてしまっているけれど本当は誰もが分かっているはずだ。

 

突き詰めてシンプルに考えていけばどう生きるのが自分に嘘がないのか、どう行動すれば違和感なく気持ちよく過ごせるのか、損得を脇に置いて考えれば分かるはずだ。

 

これまでの時代は変化が少なく誰かの言う通りに生きてもあまり間違いはなかった。無難を選んでも大丈夫だった。だけど特にここから先は加速度的に価値観もシステムも大きく変わる。技術革新に伴う変化のスピードを考えれば明らかだ。

 

権威の意味さえ変わるのだから権威ある人の言葉なんぞの後をついて行くと終わるだろう。「本物」と出会い続けること。「本物」と「もどき」を見極めること。「本質」を見ること。そもそも自分に嘘をついていては話にならない。最後は自分の感覚だけが過渡期の今の最先端の羅針盤である。

 

そろそろ、というか既に一部では確実に新しい動きが始まっている。行く先々でそれを目にする。

 

感覚的に今年は最終的な分かれ目の年になると思う。総決算。

 

選べる、というのが今の過渡期の特徴。新しい世界に行くのかこれまでの世界に留まるのか。

 

アイヌにはそのヒントがあるような気がして気になって気になって仕方がない。

 

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ありえへん!の向こう側

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今年は寒いのであえてもっと寒い青森に突っ込んでみた。

 

これまで2月は暖かい国に逃げるのがお約束だったのにただ今津軽。盛大に吹雪いとります。

 

晴天の八戸から五所川原に着いた途端に一気に雪国。ものすごい吹雪。マフラーが強風で吹き飛ばされる。キャリーバッグは雪に埋まる。前が吹雪でよく見えない。ホテルまでの道案内を震える手で見てたスマホは突然電源落ちる。なんで?吹雪ってすごい。

 

※後日追記:この夜は地元の方も帰りは死ぬかと思いましたよと言うレベルのすごい夜だったようだ。いつもこうではないらしいので念のため。

 

とりあえず爆笑。

気を抜いたらホテルに着くまでに死ぬぞ。おもろすぎるやろ。

自分がピンチに陥ると可笑しくて仕方ない。

力が湧いてくる。

 

なんかごめんなさい!と

ありがとうございます!が同時に来る。

 

自然への畏怖。

自分がちっぽけすぎて嬉しいです。

ごめんなさい、参りました。

 

それでも電車は動いて駅の人は働いてくれてる。そして生きているな、というありがとうございます。吹雪の先にかすかに見える居酒屋の赤提灯が希望の光に思える。あそこは天国に違いない。

 

これまで「好きなこと」しかしないとか「心地いいこと」「気分のいいこと」を追求してきたけれど、良いとか悪いとかそういう区別もだんだん分からなくなってきた。

 

feel bad も結局はfeel good である。

 

わざわざこの世に来たのだから嫌なことも不快なことも含めていろいろ経験してみたい。体感してみたい。

 

だから目の前のどの出来事も「そうきましたか。盛り上げてくれるねぇ。ありがとうございます!」でしかない。当然悟ってなんかやらないのでもちろんその都度見苦しく騒ぐ。

 

全部体感したいんだから全ての事がお望み通りだし良きかな、である。もちろん死も含まれる。運が悪けりゃ死ぬだけさ。

 

さて、青森は大好きだけど年に1回は必ず行くんだけど冬はありえへん。の、向こう側。

 

突入してみたら今まで知らなかった美しい景色がありました。八戸のえんぶりという祭が素晴らしすぎて泣きました。この時期しか飲めない日本酒も旨すぎる。雪を踏む音と電車の中の暖かさ。あの独特の静けさ。穏やかな話し声。

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冬の青森、最高です。

むしろ冬こそ青森!

 

食わず嫌い的な思い込みって、まだまだたくさんあるんだろうな。

 

冬の青森に行く、と決めたらずっとやりたかった事を急に思い出した。

 

はなっから冬の東北ありえへん、と決め付けて完全に意識から外れていた「ストーブ列車」と「湯治」。昔から強く憧れていた事を思い出した。

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やりたい事が見つかりません、もよく聞くけど案外「ありえへん」ブロックのせいで見えなくなってるだけかも。無意識に除外してた中に「そういえば」があった。しかも大きめのやつが。

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「これでもくらえ!」と勢いだけで恐れていることを自分自身に投げつけて「ありえへん」の領域にいちいち土足で上り込む。その先にあるもの。

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日々作り上げてきた自分の枠を外したければ行動のパターンを変えるしかない。

頭で考えても知識を入れても何も変わらない。

 

なかなかの荒療治。

SなんだかMなんだか。

 

日本初のラッパー、吉幾三先生の記念館にも行けて幸せです。おら東京さ行ぐた、最高の名曲です。先生、ありがとうございます!!

 

それにしても青森が好きすぎる。そして毎回必ず何かが覚醒する。なんなんだろう。土地の持つ力かな。青森、おそるべし。YOU迷ったら冬の青森行っちゃいなよ。ここには何かがあるぞ。

 

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神様の領域、わたしの領域。

こんな風に望みって叶っていくんだなーと我ながら感心したので書いておく。叶っていたことに最近まで気が付いてなかったのも「あるある」なんじゃないかと思う。 

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ここらで一発人生を変えたいと数年前に会社員を辞めて金が尽きるまででいろんな国を旅した。そのうち見つかると思っていた「やりたいこと」も「やりたい仕事」も見つけられなかった。だけど「安心して」焦っていた。生き方を「決め切る」と妙な余裕が生まれる。その時期の葛藤は過去記事で。

過去記事:地に足をつけて生きなさい、と同級生にめっちゃ叱られたはなし。なんのために生まれて、なにをして生きる? - ごろ寝発電

 

自分の「感覚」か「流れ」か

なんだかんだできっちり金が尽きたタイミングで仕事の話がきた。ゴリゴリのthe企業のお仕事。速攻で「無理」と思った。もうそういう要求がヘビーな世界の仕事はしたくない。「水曜どうでしょう」のようにゴキゲンに「大学生の夏休み」のように好きなことだけしたい。だけどこの絶妙のタイミング。何か意味があるのかも。いつもなら絶対パス。だけど今回は自分の「無理!!!!!!」という「感覚」より「流れ」の方を選んでみた。その時はまさかうっすら願ってたことが叶ってたとは気づいてもいなかった。 

 

『水曜どうでしょう』

『水曜どうでしょう』のようにゴキゲンに旅をしながら生きていきたい。厳密にはこの番組は旅をしない。目的地に着いたらすぐ次の場所へ。ただの移動。大泉洋が盛大に文句を言いながらも仲の良さや楽しさが伝わってくる。

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一方私はプレッシャーでげー吐きそうになりながら仕事月には1か月で8都道府県前後出張する。目的地に着いたら「ちゃっ」と仕事して即、次の場所へ移動。って、え!?ここ!?ヘビーな移動の部分だけ叶っちゃった。あれ?私が思っていたのって「どうでしょう」のゴキゲンな部分だったような・・・。あれー?でもざっくり大枠では叶ってるのかな??

 

大学生の夏休み

『大学生の夏休み』がずっと続く人生がいいな、と思っていた。結局今は1か月集中して働いて2か月休み、というサイクル。大学生の夏休みは2か月間。おお!

 

つまり・・・

現状では自分が想像していたものとはすべてが「微妙にずれている」が大枠で叶っているという状態。

 

「引き寄せ」なんて当たり前だから(本当に当たり前だよ)もっと明確にきっちり望めばちゃんとその通り叶ったのかもしれない。この部分をこんな風に叶えたい、とか具体的に明確に?

 

うわああああ。いやあああああ。

 

「すべて私の思う通り」になってちょうだい、ってなんか嫌だ。そこに含まれる粘着質な何か。まとわりつくような何か。ケチくさい何か。

 

「あれは欲しいがこれは嫌だ」とか「全部神様に丸投げ」とかそういう了見が自分で自分を停滞させる。世界を狭くする。来たものは全部受けとるぜ。もっと潔くありたい。すべてが自分の思い通りになることに何の意味があるというのだ。微妙にずれてる部分に私の存在の意味があるというものだ。むしろ余白まで用意して遊ばせてくれるなんて神様最高っす。後はあっしにおまかせ下され。ただし、やってみたけど見込み違いだったら自分を責めずに速攻「逃げろ」だ。

 

 神様の領域 わたしの領域

東京国立博物館で『運慶展』を観てきた。仏像に魂が宿っている。優れた作品は時代も言葉も簡単に超える。「こっち側は俺に任せろ」と聞こえた気がした。 

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「神様や仏様や妖怪やそういう見えない世界の事は俺たちがちゃんとやっとくから、お前は安心してそっちの世界でしっかりやれ」

 

運慶の仏像たちは全身でそう言ってくれた。こんなにも神々に守られているのかと涙した。すごい体験だった。当時の人はどんな感覚でこの半端ない仏像たちを見たのだろう。どんな声を聴いたのだろう。

 

あっち側の世界とこっち側の世界。

 

私は私の領域(現実、リアル)でしっかりやろうと思った。

お互いいい仕事しましょうね的な、神や仏や見えざる何かとハイタッチでもしたいような「仲間」感。バディ感。コラボ感。ありがたやー。

 

自分の人生を誰のせいにもしない。自分はこう生きる、あるいはこうしか生きれないと腹をくくればすべてが味方になってくれる。あらゆるものの優しいメッセージを感じられる。世界は信じるに値する。自分もそれに含まれる。

 

誰かの言葉やどこかで読んで知った気になる「経験なき悟り」「体感なき悟り」の無意味さ。もったいなさ。私たちのご先祖様は4畳半にブッダは自身の肉体に宇宙の真理を見てきたのだ。どこに行っても行かなくても体感はできる。

 

いずれにせよ「くれくれ」ではなく神様ともコラボな感じがわたし好みである。

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自分を好きになる必要はない

10日間ほど完全に連絡が遮断された状態で京都で山籠もりをしていた。その後神様が7日間滞在中という出雲大社へ。「神在祭」最終日。「縁結大祭」に参列。祝詞に呼応するように大雨と雷。寒い。

 

帰宅の高速バスの中でこんなマニアックなブログを探し当ててしかも全部読んだというセンスのいい方から「どうしても自分を好きになれないのですがどうしたらいいですか?」とメッセージをいただいた。

 

「自分を好きになれない自分を好きになってみてはいかがですか」 

「それができないんです」 

どうしよう。さっきのがファイナルアンサーなんだけど・・・。では別の方向で。 

「自分を愛したり好きになったりする必要はないですよ」 

「え?」

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「自分を愛する」「自分を満たす」が、あふれすぎていて、もはや自分を愛さ「ねば」ならない、とか自分を満たせない私なんて・・と自分を責めて苦しくなっている人がいる。

 

「本音で生きねばならない」とか「自分を生きねばならない」とか。「好きな事をしなければならない」とか。

 

それはそうなんだけどそれに「ねばならない」が付き出したらこれは一番やっかい。沼です。対処法はいろいろありますがまずは気づいたら一度そっと離れましょう。 

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自分を好きも嫌いもない

そもそも自分を好きとか嫌いとか、何だろう?

 

自分を好きとか嫌いとかそんな評価を私たちは自分自身に対して下したところでまったく意味がない。何故なら「ただ、自分なだけ」だから。

 

 

比較に伴う感情はムダすぎる

ライオンがどうして俺はカバじゃないんだ!って悩み苦しんでも、いやいや、君、ライオンやし、としか言いようがない。 

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ライオンの良さをどれだけ伝えても本人がライオンを否定したら行き場がない。 

否定してもライオン。肯定してもライオン。自分を好きでもライオン。自分を嫌いでもライオン。どうせライオン。だって、君、ライオンやん?今世はどうやらライオンだから、諦めて。いいからライオン極めなよ。ライオンを楽しもうよ。でも、あのライオンの方が、って、それはほとんど誤差の範囲です。

 

そこはお互い潔く諦めましょう。明るい諦め。しゃーないやん。だって私なんだもん。これで行くしかないのだ。自分を好きとか嫌いとかどうでもよくなってきた?まだですか。では、続けます。

 

 

こんな感じでこんな顔でこんな色で

ヨーロッパを旅していると毎日とんでもない美人やとんでもないスタイル抜群の人を目にする。あんなものを毎日毎日見せられたら多少何か塗りたくったところで何したってどうしようもない。

 

骨が違うよ、骨が。

 

さて、ここでやさぐれずにどう道を見つけましょうか。現状を冷静にただただ見る。

 

ヨーロッパ系やアフリカ系。みんな違う。そして私はアジア人。日本人。そして「私である」ということ。 

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根拠なく「斎藤さんだぞ」と自信ありげに言い切る斎藤さんが頭をよぎった。なんて最高なんだ! 

 

「俺なんて斎藤さんだし」よりも「斎藤さんだぞ」。「和美さんだぞ」。根拠なんか要らない。ただただドヤ顔で言い切る。だから何だと言われても知ったこっちゃないのだ。「私は私だ」と言い切る瞬間にモードが変わる。「〇〇さんだぞ」。それだけだ。こんな力強い存在の全肯定はない。

 

 

変えられるものと変えられないもの

世の中には変えられるものと変えられないものがある。待ってるバスが事情があって遅れる、これは変えられない事。

 

ひたすら何で来ないんだと変えられないものに対してイライラして待つか、好きな本でも読んで優雅に待つか、これは変えられること。選べること。

 

変えられないものは置いといて変えられることに注力すれば同じ出来事でも全く違う過程や結果になる。その積み重ねが最終的にはその人の人生になる。

 

 

他者とは自分のためだけに存在してくれている現象である

世界中に自分1人だけだったら。自分が何者で何なのかさえ分からない。他者が居てくれるからこそ自分の輪郭が分かる。結局は他者を見ながら自分を観ているのだ。すべての主体は自分である。そして同時に自分も誰かのためだけに存在している。そして、って、ね、わけわからんでしょ。わかんないんだよ。自分と他人との境目なんて。

 

 

ただ1つだけ言えることは、

 

あなたはあなたに生まれてきて本当に良かったね。自分を好きでも嫌いでもあなたはあなたで良かったね。

私も私で本当に良かったよ。

そして、出会えて嬉しいよ。

さっさと自分自身であることに降伏して認めて楽になって自分を遊びましょう(๑>◡<๑) ここから先は楽しいよ。 

愛を込めて。 

 

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「使命探し」をやめた話。

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そういえば自分の「使命」を探していた時期があった。

 

一人に一つ「魂職(こんしょく)」があると聞いた時には何が自分の魂職なのか、何がしたくてこの世に来たのか、使命が何なのかとても知りたかった。

 

なんで知りたいの?

「これだ!」ってものが分ったら迷わないし楽だから。そこに真の自分、真の充足があるような気がしていた。迷ってる時が、決められない時が一番しんどい。

 

 

目的地を決めない旅

特に何があるって訳じゃないのに旅をする。基本的に安宿でゴロゴロしている。目的も何か得るものもましてや「意味」なんて考えない。サイコロ転がして行く先を決める。

 

旅はそんな感じなのになぜ「人生」では「目的」や「意味」を求めてしまうのだろう。そう考えると「使命」を「決める」ことさえ窮屈なような可能性を狭めるような気さえしてくる。 

 

 

グレーにどれだけ耐えれるか

白か黒か決めてしまえたらとても楽。

あいまいなまま

分からないまま

どれだけ持ち続けていられるか。

受容できるか。

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この東洋的な感覚は実はとても大人なんじゃないかと思う。

分らないまま「分からない」を持ち続けたまま進む。

 

 

「結果」よりも「目的」よりも

今となっては思い出せないがどこかの時点で私は「結果」よりも「過程」を楽しもうと思ったのだと思う。「目的」のための「手段」としての「何か」は放棄して「気が付いたらここにたどり着いてました」でいい、と決めた。何者かにならなくてもいい、と決めた。

 

サイコロ振って人生を決める、で、いい。

行き当たりばったりでかまわない。

結果は問わない。

過程を楽しめばいい。

コントロールできるともしようとも思わない。

夢も目標も使命もやりたいこともなくてもいい。

 

もちろん「目的地」を決めて進んでもいいし「意味」を大事にする生き方も素晴らしい。成し遂げたい確固たるものがある人は迷いがなくて素敵です。

 

結局は他者の生き方や意見もただのサンプルにすぎない。あくまで「ご参考ください」程度のもの。最後は自分で選んで自分だけの道を歩くのだ。

 

「縁起」で流れてみる

最近は自分で選ぶことを放棄して流れてきたものをただただ受け取っている。気がノラなくてもピンとこなくてもとりあえずやってみる「ご縁」の実験をしている。やってダメだった時はやめるだけ。

 

失敗したって、損したって、誰かにどう思われるかなんてそんなもの、どうだっていいじゃないか(えなり風に) 

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一隅を照らせ

もう何か月もずーーっと『この世界の片隅に』のすずさんの事を考えている。世界の片隅を照らす生き方。

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自分が好きでご陽気に簡単にできちゃうことで周りの人がちょっとでもゴキゲンに気が楽になれたらいいな、と思う。

 

大きいことはやらないけれどそっと一隅を照らしていけたらな、と思う。

そういう「普通の大人」でありたい。

 

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辻 和美 ツジカズミ 

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まるで人生のような音楽 まるで音楽のような人生

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人との出会いで人生は変わる。

 

自由で健やかでいつも楽しそうで常に機嫌のいい大人。

私が人生で一番影響を受けた人。

長崎にある洋楽に特化したスナックのマスター。

訃報を聞いてからなんだかずっと力が入らない。

 

 

北風と太陽

マスターとは大学2年の時に出会った。写真はその頃のもの。私の母と同じ歳でこんな大人がいるのかと度肝をぬかれた。とにかく自由。とにかく無邪気。何でもかんでも「良かねー、良かねー」と肯定してくれて自己受容も自己肯定もできなかった当時の私はどれだけ救われたことか。マスターには本当に感謝しているし尊敬している。

 

マスターも大好きだったけどマスターといるときの自分も大好きだった。きっと他の人も同じだったんじゃないかな。一般的にはクセのありすぎる人もマスターの前ではそれも面白い個性として認められていた。その人のよい部分にスポットを当てる。するとなんだかその人もいい人になっていく。

 

そんなすごいマスターだけど日本にずっと住んでてそんなことあり得るのかと思うけどなんと山口百恵も知らないし美空ひばりも知らなかった。スターダストレビューのボーカルの人がお店に来てカラオケ歌った時も知らなくて「あんた歌うまかねー」とか言っちゃったらしいし。ただ洋楽に関してはとにかく半端ない。ラジオのDJとしても人気だった。

 

 

その人に見えている世界

マスターにはこの世界はどんな風に見えていたのだろう?とずっと考えている。「面白おかしくパーッといかんばさ」が口癖だったマスターの視点で世界を見てみる。するといろんなものが楽しくキラキラして見えてくる。「きっとこんな感じに見えてたんだろうな」と想像するだけで心が軽くなる。ワクワクしてくる。 

 

その人の視点を共有することで一度のはずの人生が何倍にも何十倍にも豊かになる。人と関わりあう、とはこういうことだ。多視点とはこういうことだ。 

 

その人がこの世にいなくなったとしてもそれは変わらない。例えば本や映画や音楽、絵画を通してその作者と知り合う。分かり合う。時代も国籍も簡単に超える。「本物」に出会うということ。

 

自分を生き切った人の視点。面白おかしく生き切った人の人生。その在り方。それはとてつもなく大きな贈り物である。 

 

 

more than feeling

初めてマスターにボストンの more than feeling という曲を教えてもらった時は衝撃だった。音楽はいろんな気持ちにさせてくれるものだけれどまさか宇宙にまで連れて行ってくれるとは知らなかった。 

 

マスターにはたくさんの人や音楽やいろんなものを教えてもらった。なんでもっと長崎に行かなかったのだろう。悔やむことに意味はないと分かっていても思わずにはいられない。何故だかマスターはずっとそこに居てくれるものだと油断していた。いつだって「この次」なんて「いつか」なんてないのに。

 

 

まるで人生のような音楽 まるで音楽のような人生

毛皮のマリーズの「ビューティフル」という曲が頭の中から離れない。

 

まるで人生のような音楽 まるで音楽のような人生 

 

そもそも造船設計の仕事をしていてスナックはただのオーナーで自分が店に入るつもりもなかったのに当時雇っていたマスターに持ち逃げされて仕方なく自分がお店に入ってじわじわと自分の「好き」を増やしていってそのうち自分の「好き」な洋楽を目当てに店に来る人も増えだして伝説のスナック「ぴえろ」になっていく。

 

マスターは音楽に呼ばれていたんだと思う。

 

自分の好きな曲を嬉しそうに教えてくれて、だけど決して押し付けることなく、お客さんの「好き」も尊重する。

 

ただ「好き」なものがある人たちが集まって「僕はこれが好き」「わたしはこれが好き」で明け方まで飲んで歌って音楽を聴いて ”I just call to say I Love you" なんて歌う人がいたら店中のお客さんで大合唱になっちゃったりほんと最高だった。大好き。「ぴえろ」は私の青春でした。

 

あの店がなければ出会わなかった人たち。

あの店があったから出会った人たち。

20年前大学生だった私の本当の大学は「ぴえろ」でした。

本当にありがとうございました。

 

ビューティフルに ビューティフルに生きて、死ぬための僕らの 人生 人生!

 

ビューティフルに。

余計なノイズはどうでもいい。

精神的に隠居モードに入っていた自分に「ちゃんと生きろ」とマスターの死で一発ぶん殴られたような気がする。

 

 

プラウドメアリー

どうせならあの世でまた会ったら「和美ちゃん、面白かことしとったね」と言われたい。というかあの世でも先に逝った人たちと「面白可笑しくパーッと」いっちゃってる気がしてきた。

 

三途の河を渡る時もプラウドメアリーなんか口ずさみながら 「Rollin', rollin', rollin' on the riverさ、あはは」とかCCRキメちゃってる気がする。

 

人は死んで肉体は灰になってもその精神と記憶という贈り物は残る。いよいよもらったものをマスターに直接返せなくなった。受け取った者にはそれを次の人にまわしていく義務が生じる。独り占めして腐らせるわけにはいかない。ちなみにマスターの経営やお金へのスタンスも「循環」だった。

 

過去記事:ありがとうって要らんな、って話をモンゴルのゲルの中でしてまして・・・・ - ごろ寝発電

 

死ぬ前に人生の走馬燈を見るという。マスターの走馬燈はすごく豊かで豪華だったろうな。人生の最後の走馬燈に私は何を見たいのか。

 

生きるとは重くもなく軽くもなく結局はそれだけの、ただそれだけのことのように思う。そしてそれはきっと死も同じである。

 

私にとってマスターは問いではなく答えだ。そういう人生で1人会えるか会えないかのすごい人でした。

 

youtu.be

 

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今まで行ったところで一番よかった場所

頻繁に旅をしているからか「行ってみて一番良かった国やよかった場所」を聞かれることが多い。おすすめは?とか。

 

いつもとっさに答えられない。思い出せないのだ。すぐ忘れるのでどうしても直近の出来事が一番印象的な出来事になる。あまりに毎回答えに窮するので何か鉄板ネタでも用意しておこかと思うが用意したそれは腐るような気がしてそれもできない。

 

今を生きているから?

あなたは「いま」を生きているからそうなるのよ、と言われる。うーん。もっとその先があるような。やっと今朝謎が解けた。

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エジプトの空、三輪山の空

胸が震える瞬間がある。ほんとうに一瞬の、言葉になる以前の感覚。

早朝の大神神社の参拝を終えて空を見た瞬間にエジプトの空を思い出した。

広大な大地と巨大な遺跡。独特の空。完全に心をつかまれたあの瞬間が蘇り三輪の空とつながった。  

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7年前にエジプトであることを思った。そんなつもりはなかったけれどあの時私の心の奥の方は決めたのだろう。そんなんじゃ食っていけないけど決めちゃってたのかい。そりゃ仕方ないね。それをこの日受け取った。受け取れる器になるまで7年かかったってことか。

 

答えはいつも行動のあと

いつも行動の「後」に答えが分かる。その時はなんの説明もできないしとびっきり無意味。「なんで行くの?」「目的は?」答えられない。

 

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さすがに自分でもなにやってんだろう??と思うことはある。以前は頻繁に思っていた。生産性のない、だけどとっても大事で無意味で衝動的な行動。

 

損得や余計な感情を入れず愚直にヒントをたどって行くと想像をはるかに超えた面白い境地にたどり着く。

 

「なりたい自分」や「こうありたい自分」。そんなもの、もはやどうでもいい。それよりも「ただ、在る」ということが面白くて仕方ない。 

 

 

「いま」と「過去」と「未来」

7年前のエジプトの空と今朝の三輪の空は同じものだった。「いま」と「過去」が同時に存在している。そう確信した。

 

過去の「積み重ね」が「今」なのではない。すべてが「いま」に内包されている。

 

過去の出来事を1週間前のことでさえ思いだせないのは、すべてが「いま」に含まれているからだ。「いま」が「過去」で同時に「未来」でもある。だから「いま」しか必要ない。

 

そしてすべてが「なんのためにいま、ここに、存在しているのか」ということの答えに集約される。  

 

 

ごきげんさんが止まらない

「なんのためにいま、ここに、存在しているのか」

この答えの絶対的な肯定感。楽しい。ご陽気が止まらない。いままで見たもの全部。すべて。感じたこと。体感したこと。借り物ではない誰かの言葉ではない自分の言葉、感覚。すべてが「いま」に「この瞬間」に集約される。ぜんぶある。そしてぜんぶない。

 

湧いてくるものに忠実に。少しでも違和感があれば濁るから「自分らしさ」さえも気軽に捨ててしまおう。「ただ、在る」だけ。その嘘のなさ。風が吹いている。

 

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どこに行くかは問題ではない。旅をしてもしなくても結局は「密度」と「解像度」の問題だ。日常のどこにでもある、しかも足元にしかないその人にとっての「それ」を高い「解像度」で見いだす。ど真ん中にいることに気づくだろう。幸せであることなど当たり前なのだ。すでに誰もがど真ん中。「幸せ」とか、もう、本当にどうでもいい。

 

高みを目指したくて「風に吹かれるだけの自分、死ね」と思ったこともあったけどやっぱり私は、これでいいのだ。何者にもなる必要は、ない。

 

それでは本題。お答えします。

 

Q:いままでで行って一番良かった場所は?

A:すべてが集約された いま、この瞬間の、ここです。

 

 

 

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「好きを仕事に」は万能ではない。

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世の中に「好きを仕事に」が氾濫している。もちろん「好きな仕事」で「楽しく」「ラクに」稼いでいる人もいっぱいいる。素敵。だけどそれ「だけ」が万能なわけではない。他の方法もありますよ、というお話。

 

 

好きを仕事にという呪縛

「好きを仕事に」したくてああでもないこうでもないといじくりまわしていた。「好きを仕事に」活躍している人が輝いて見える。まぶしいっ。危うく好きを仕事に「せねばならない」という意味不明の枠にとらわれるところだった。不自由すぎる。なんだこりゃ。やめた!と思ったら流れてきた。

 

 

まったくピンとこなかった仕事

4月からある仕事を請け負うことになった。オファーをいただいた時、特にやりたいとも思わなかった。だけどこのタイミングで来たのだから何かあるんだろうなと思った。「好きなこと」でもなんでもないけど。

 

それでここ数日は新しく身につけなければいけないスキルなどある意味「やりたくないがやらねばならぬこと」をやっていた。

 

 

まずはだんなに八つ当たり

あーもう、分からん!できない!こんなスキル要らんねん!イライラしてだんなに八つ当たりもかましながらそれでも集中して勉強してみた。そしたら・・・・・。

 

 

私の思い込みなんてそんなもの

楽しい。めっちゃ楽しい。むっちゃ楽しい。苦手だと思っていたものが思いがけず楽しい。あんなに「あれを始めよう」「これを仕事にしよう」とさんざん考えてきたのに。私の頭で思いつくものなんてそんなもんだよなー。いつも現実の流れの方がはるか上を行くよな。可能性を見せてくれる。私の「好き」ってこんな知らない所にもあったのか。知らなかったよ。ありがたやー。

 

 

旅と回転ずし

経験も知識も好き嫌いさえも関係ない何かがやってくる。旅に似ている。自分でも引くほどのノープランで出かけて行った先で何かが勝手に始まって、出逢うべき人に出逢って行くべきところにたどり着く。どうやら私は仕事もこのパターンのようだ。流れてきた回転ずしをクリアな状態で間髪入れずに取る。そしてそれがベストの寿司だと感じる。疑わない。美味しくいただく。

 

もちろん本気で嫌な仕事は最初から受けないしもし判断を間違えたら途中でも頭を下げて断るしかない。自分の軸がズレたり本音を無視して動こうとするとどうせ何らかのストップがかかる。その時は他にベストな人材が見つかるはずだ。

 

それにしても楽しくなるまでやってみる、って案外有効だな。この程度のことを「努力」とは呼ばない。ただ、やってみただけ。

 

冷静に考えたらそんなに楽しいはずないのにめっちゃ楽しい。思い込ませてるとかじゃなくて確実に心の底からふつふつと楽しい。これ、あの時の感覚に似てるなと思った。2015年の投稿。 ※念のため下に一部転記しておきます。

 

旅の始めに体調崩して、宿でうんうん唸りながらげーげー吐いて頭痛に胃痛に苦しみまくって10分後、なぜか爆笑。声をあげて笑ってて、自分でもびっくり。

旅先で熱出して唸り声をあげて苦しみまくってる自分が、なんか、妙におかしくなっちゃって爆笑。
んで、その後もげーげー吐いてるんだけど、やっぱり笑っちゃう。

こういうのって初めて。
あ、わたし、これから先、何だか分からないけど大丈夫だな。って思いました。
なんでも面白がるんだなーって。
もともとシリアスな人だったのにね。
人間なんて簡単に変わる。

でまあ、体調悪いので昼間は川っぺりに新聞敷いて寝転んでました。
と、だんなから今なにしてんの?LINEがきたので、川っぺりで寝転がってる、と返信したら「優雅だね」

金ないから新聞敷いて寝てるのに優雅!?
確かに。
確かに優雅だ!!
私が優雅だと思えば優雅だ!!!
さっきまでの道に寝ているというちょっと恥ずかしかった気持ちが一気に豊かな感じになって優雅に休息しました。
おほほほほ。

結局、起こった出来事に対して、「私が」どう受け取るか、ってことが全てなんだなぁと思った下北半島での出来事でした。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

勝手に「楽しくなる」

『いま飲んでるコーヒーが「美味しいから」幸せなんじゃなくて、「幸せな私」が飲んでいるコーヒーだから美味しいのよ』

 

大好きな先輩の言葉だが本当にこれに尽きると思う。

 

結局、何をしても良かったのだ。ある程度時間の自由が効くところならば(これは絶対外せない)きっとなんでもよかったのだ。私が居るところが「楽しいところ」。私がやる仕事が「楽しい仕事」。何もなくても楽しいから。楽しんじゃうに決まってる。何にこだわって何を握りしめてたんだろう。アホらしい。

 

日々精進

今日は脳内を田中邦衛にジャックされている。油断すると「あしーの、のーばせる露天風呂ー」と1人で叫んでいる。『北の国から』を知らない方には意味不明だろうが「子どもが食べてるでしょうがっ」なども叫んでいる。もう、ダメだ。楽しすぎる。何やっても楽しすぎる。1人なのに。

  

 なにがあっても「おもろい」ととるか「シリアス」に受け取るか。「よく」受け取るか「悪く」受け取るか。これは性質とか性格ではない。練習すれば何とでもなるもの。日々精進しております。「あしーの、のーばせる、露天風呂ーーー」

 

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悩みの大半は誰かに対する「想い」の扱い。

いろんな悩みやモヤモヤは結局のところ「誰かに対する想い」の扱いなんだと思う。

 

本日まで絶賛引きこもっておりましたがブログを読んでくれた方からお悩み相談をいただいて何やら復活。ありがたやー。私は誰かのために何かしているんじゃなくて人に活かされてるんだなと実感しました。

  

やりたいことも全部やっちゃったし余は満足じゃこのまま隠居しようかと日々半端ない余生感を漂わせておりましたがシャバに戻る気になれました。ありがとう。メッセージのやり取りは誤解が生じやすいのでお返事はしませんがこんな形でお返事しますのでどなた様も遠慮なくご連絡ください。何らかの形でお会いできたら一番いいんでしょうけどね。「自分のこと」は終わったのでここから先は恩返しだなと感じています。 

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「おつきあいしている人がいてなかなか連絡をくれない。相手は忙しい人でしかも妻子持ち。迷惑をかけたくないから自分からは連絡できない。それにあまりこちらから連絡せずに3回に1回返事をするくらいの女の方が大事にされると聞いてそうしてみたらほんとに1か月以上連絡がない。彼は私をどう思っているのでしょう?苦しいです」かなり荒々しくまとめるとこういう感じのご相談。

 

それは苦しいよね。自分はこんなに好きになっちゃったのに相手はそうでもないかもしれない。もっと気にして欲しい、関心を持って欲しい、認めて欲しい。

 

まずは相手にちゃんと聞けばいいと思うよ。怖いよね。返事やその時の態度を想像しただけで怖いよね。だけどどんな答えが返ってきたとしても、それって関係ある??それって誰の問題??

 

自分のことを好きでいてくれるから好き?それともどうしたって好き?醒めちゃったらもう好きじゃない?

  

愛してくれるから愛する、だと苦しくなる。鍵を握ってるのは「彼」なわけだから。彼が評価してくれたら愛してくれたら。軸はどこにある?こうしてあげたらこう返してほしい??相手はこちらが勝手にコントロールできない「他者」。好き勝手に生きてる一個の人間。思うようにいくわけない。彼の感情は彼のもの。

 

ということは向こうの気持ちがどうなろうがこちらの価値は変わらない。好きだと言ってもらえないと価値がない?確かに「君が一番好き」とか「君だけが好き」とか承認欲求を満たされるものだけど、それとこれとは違う。ここは声を大にして言いたい。彼がどうだろうとそんなの関係ねえ!

 

やっぱり基本は「レリゴー」じゃないかな。自由であること生きることはどうしようもなく孤独なもの。それが基本。それは辛すぎる、仲間が、家族が、とか言ったところで究極は人は一人で自分自身を生きて死ぬんだよ。悲しいとか悲観的とかじゃなくて私は「そういうもんだ」と思っています。ただ、「そういうもんだ」と受け入れています。だって、そうだから。そのうえで、だからこそ『分かりあいたい』し、いろんな意味で『つながりたい』と思っています。

 

 

喜びを他の誰かと分かり合う

それだけがこの世の中を熱くする

 

かつて小沢健二がその名も「痛快ウキウキ通り」というふさけたタイトルの曲の中で素敵に歌っているんだけど『喜びを他の誰かと”分かり合う”』なんだよね。喜びを”分かち合う”じゃなくて”分かりあう

 

この絶望に似た確かな希望。私たちは分かち合えない。だってわたしはわたしであなたはあなただから。分かち合えない。喜びも悲しみも。分かち合えません。だけど ”分かり合う”ことはできる。”分かり合う”そのこと”だけ”がこの世の中を熱くする。

 

孤独をそのまま受け入れてる人にしか書けない歌詞だと思う。愛してくれるから好き、もアリだけど、「ただ、わたしが、このひとを好き。それだけ」でいいんじゃないかな。わざわざ私たちが分離して生まれてきたのってそういうことじゃないかと思う。誰かを知るために。そのことで初めて自分の形を知る。その代償として孤独がある。誰かを愛する。そのことが自分を愛することになる。「愛させてくれてありがとう」じゃない?相手の返事なんてどうだってよくない?しかも一度は心が通い合った「瞬間」があったのなら、それだけで人生丸儲けでしょ。奇跡でしょ。一瞬が永遠を超える、ってそういうこと。

 

勇気だしてちゃんと相手に聞いてみたらいいと思うよ。自分はこう扱って欲しいんだと伝えればいいと思うよ。男と女は分からな過ぎるからこそ惹かれ合う。修羅場にでも何でもなったらいいと思うよ。想像だけで傷ついてるうちに年だけとっちゃうよ。このリスク!!YOU直視しちゃいなよ。だめだこりゃ、ってなったら「マジ、サンキューでした」ってウインクして軽やかに去ればいい。春だしね。次だよ、次。なんてったってこの世に男は35億だよ。35億!!ちえみ持っておいでよ。シリアスになりすぎないでいいんだよ。 

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そういえば元カレを忘れられないのはその人と過ごしていた時の自分が好きだったんだと気がついてやたら納得したことがあったなあ(20代。遠い目)。その彼といて好きだった自分って何だったんだろう?その時の自分のどこが好きだったんだろうって思い出してみると「自分」の望みがよくわかる。結局はすべて「自分を知るための」作業。で、その次、ですよ。お客さん。

  

一切の見返りを求めない。期待もしない。ただ、好き、愛してる、それだけ。という領域の恋愛は極上でございますよ。そんな風に彼を思ったときに実はたいして愛してなかったって気づいてしまうかもね。たいてい不倫の場合は既婚者の男がグイグイ押してきてなんかわからんうちにどんどん押されて好きになっちゃって、それなのに、ってパターンが圧倒的だしね。ほんと、あいつら何なんだろうね。 

 

軸は常に自分に。恋愛至上主義って本当に人を幸せにするのかね?だけどうっかり落ちちゃうから仕方ないよね。完全に自分を見失える最高に強い刺激。修羅場も振り返れば乙なもの。とにかく思いつめるとろくなことにならないよ。地球上に男は何人いると思ってんの?35億だよ、35億!!

 

 

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『この世界の片隅に』※ネタバレなし

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とんでもない映画を見てしまった。見た後に呆然とする映画。泣ける、とか、笑う、とか、考えさせられるとか、生きる力をもらったとか、全米が泣いたとか、そうものを超えてそんな安っぽいものをはるかに超えてただ呆然とする。感情の持って行きようがない。多分、これって最上級なんだと思う。「人の心を動かす」のが感動ならばこの映画は最上級なのだと思う。どう感じていいか分からない。ただ、呆然とする。言葉にできない。最上級。

 

 

2月11日は『我フェス』で琵琶湖を歩く予定だった。が、雪だし道が凍って転びそうだったので少し歩いてあとは映画みましょうということで了解をいただいた。フェスの一環として見たのがこの映画『この世界の片隅に』。天気がもち直したので映画を見た後琵琶湖畔を一駅分ほど歩いたけれどあまりの衝撃で言葉も少なく参加いただいた方には申し訳なかった。

 

 

主人公の声をあまちゃんでお馴染みの能年玲奈(のん)がやっていて本当に素晴らしかった。全てがさらっと描かれていて製作者からのメッセージがまるでなにもないかのように何ひとつ押し付けがなく感想のすべてが映画を観るものにゆだねられている。

 

悲しくて悲しくて

とてもやりきれない

この限りない むなしさの

救いはないだろうか 

 

映画の初めの方で流れる音楽。あれからずっと考えている。主人公の「すずさん」を想うとき。自分が知りうる限りもっとも「透明な」自分が出てきた。私にとって新しい領域だ。観る者に新しい領域を開かせるくらい圧倒的なリアリティで心にぶっこんでくる。

 

 

他者への目線の位置。私はこれまでどのくらいちゃんと人の奥にあるものを見ようとしてきただろうか。理解しようとしてきただろうか。ちゃんと「自分」を外せていただろうか。

 

 

「救い」とは何か。悲しさもやりきれなさも虚しさも救いも美しさもすべて「人間である」ということに集約するように思う。「それでも」「生きていく」ということにすべてが集約されるように思う。

 

 

そしてあの「限りない むなしさ」を超えて戦後を超えて今の日本がこの日常があるということを思うとき、とんでもない時代を生きているのだと感じる。悲しみや苦しみや恨みや怒りを「過剰に」煽ることなく、誰かを他国を「過剰に」悪者にすることなく生活者とその内面を表現すること。こんな作品を産みだせる国は実は非常に限られている。

 

 

クラウドファンディングで製作費を集めたというこの映画。片渕監督がこの映画を通して何を伝えたかったのかは分からない。分からないけど受け取った。「すず」という主人公が実在するのだと信じるあるいは信じさせるその一点に向かって描き込まれる当時の美しい風景、街の様子、明るい日常、のんきな笑い、恋、結婚、生活、リアリティ。そして能年玲奈。まあ、すごいです。全く感想になっていないけれど感想にしたくない、そういう稀な映画でした。去年の映画ですがまだ一部映画館では上映されているようです。

劇場情報|Theaterpage Master

 

 

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それって問題だったのでしょうか? - ごろ寝発電 

 

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個人プレーの時代は終わりました。

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新しい時代

1月22日横浜での中野裕弓さん(ロミさん)の講演会に行ってきた。その空間でインスパイアされたことは山のようにあるのだけれどその中で一撃をくらったのがこの言葉。

 

個人プレーの時代は終わりました。

 

ロミさんからはこれについての説明は特になく、サッと次の話題に移ってしまったのだが、その一瞬、この一言で私の中に漠然とあった自分が握りしめていたものが崩壊し、バタバタと扉が開いた。

 

 

個人プレーの時代は終わりました

これまで自分自身であり続けることに注力してきた。自分であり続けることを繰り返していけば、心が喜ぶ。喜びで自分のコップが満たされる。そしてあふれ出る。どうしたって外のいろんな人に向かう。「喜び」のダダ漏れ。源泉かけ流し。

 

そんな「個」をやりつくした「自分のことは終わらせた」人たちと始める新しい団体ゲーム。

 

「群れる」とかどっちが上だとか進んでるだとかの「マウンティング」とはほど遠い自由な、そしてお互いをリスペクトしあえる尊重しあえる気楽な世界。だってお互い、どうしようもなく「わたし」な「だけ」だもんね。

 

 

「自分の手柄」から自由になる

新しいことを始める。それは「完全オリジナル」で「自分が」始めるんだと思ってた。「自分の手柄」を他の人に持っていかれることがとても嫌だった。「自分の手柄」つまり「これは私のものだ。私がやったんだ。すごいのは私。評価されるのは私」 

 

「これはわたしのものだ!」がある限り広がらない。「カラオケ」だって発明した人が特許やら権利やそういったものをあえて取らなかったからここまで大きなものになった。海外でも「KARAOKE」で普通に通じる。日本発の文化になった。

 

所有の意識は自由と拡大を阻害する。

 

 

自覚で「枠」は簡単に外れる

こだわりに気が付けば枠が外れる。そして一気に楽になる。 そしたらなんだか「1人でやらなくてもいい」とすっと思えた。なになにこの楽な感じ。堂々と人が始めたものに乗っかろうと思った。帰りの新幹線の中から秋田で『我フェス』を開催する亀谷美奈子さんに連絡した。

 

●●●「我フェス」同じ日に大阪で開催してもいい?他の地域の人にも紹介していい?同時多発的にやったら面白くない?その為には我が始めたという我さえ捨てなければいけないけど、どう?  ●●●

 

どう反応が返ってくるかな、と思ったらめっちゃサイコーだった。

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これからは一匹オオカミ的な「個」が集まって創るにシフトしていくように思う。確立した「個」が寄ってたかって創り上げていく。確実にこれが主流になる。だって、おもろいやん?そっちの方が。「手柄は独り占め」の時代は終わる。インターネットの登場ってほんと世界と意識を変えたよね。

 

 

『我フェス』とは何ぞや? 

自分一人でも今日は「フェス」って決めちゃえばその日は祭り。ひとりから始められるフェス。それが「我フェス」。何かを始める最初の一歩は小さくていい。始めること。まずは自分を楽しませること。

 

詳しくは主催者の美奈子さんのブログをどうぞ。

我フェス@御成座vol.0~はじまりの予感~|言葉をつむぎ生きるをたのしむ つむぎの小屋

 

 美奈子さん曰く2月11日はマヤ歴では 

自分の思いに奉仕することで 人びとがつながり、くっつき、活性化しちゃう変容の嵐のエネルギーが満ちる日

しかも満月。なんとなくめでたい感じがする!!自分の思いに忠実であることが世界をよくする日。なんてスバラシイんだ!!

 

 

で、大阪は何するの??

さて何をしよう。お話会、セッション、セミナー、コラージュ、うーん、何か違う。他は、いや、おもろいんだけど大がかりすぎて二転三転四転五転して「そうだ、琵琶湖歩こう」となった。

 

秋田で始まった『我フェス』は2月11日、北海道、秋田、大阪、沖縄と4か所でそれぞれ同時に開催される。北から南まで線で繋がった。

 

そのダイナミックな流れを感じながら琵琶湖畔を喜びいっぱいにウキウキ歩きたいと思う。琵琶湖一周250キロを13回に分けて1年くらいで歩く予定。その1回目をフェスにします。約16キロ歩きます。いろいろお話しましょう。疲れてヒッチハイクしちゃったらごめんね。ゆるく歩きます。できることなら巻き込まれて欲しいけど1人でもフェスだからね。「来てくれなかったらどうしよう」がないのが「我フェス」のいいところ。自己満足でいいのだ。

 

「喜び」から発せられる何か。それが一番の社会貢献だと確信している。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

日 時:2月11日(土)10:00~

集 合:JR大津駅・みどりの窓口あたりに10時集合

※お弁当やお茶など持ち物は各自判断下さい。私は途中でお弁当買うかお店入るか適当にやります。


●JR大津駅とJR南草津駅の間を歩きます。

※天候が悪い場合は中止です。その際はお茶かランチしましょう。
※中止変更の際はFBイベントページに投稿します。必ずご確認ください。

 

では、琵琶湖を一緒に歩いてくれる酔狂な(笑)方はこちらから。

https://www.facebook.com/events/185695385241589/

※人数確認の為に参加ボタン押していだだくだけでOKです。

 

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

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ただ、認めあう。

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 昨日、海外の友人ともめた。なんだか自分勝手な人だな、と以前から思ってたけどいよいよ私の許容範囲を超えたので「あまりに自分勝手すぎる。いったいなんなんだ」と拙い英語で強めに返信した。そしたら「そう思うんなら君は僕を(FBの友達から)削除することができる。消せばいいじゃないか。ブロックすればいいじゃないか」と返ってきた。くっそー。

 

最初は「え!?逆切れ?」と思ったけど、確かにその通り。被害を受けたような気になっていたけど私には選択権があっていつでも切れる。彼は終始変わらず彼であっただけ。悪い所だと指摘されても動じない。これが俺だと譲らない。やるな。

 

 

 自分を見捨てないということ

「あなた自分勝手すぎるのよ」なんて言われたら今の私なら「そうです」って認めて終わりだけど、以前の私なら猛烈に傷ついて反省してただろう。どこが悪かったんだろうと自分を変えようと努力しただろう。変えるから嫌わないで、私を見捨てないでって。誰に対しても以前はそう思ってたな。誰からも嫌われたくなくて簡単に自分を見捨てていた。

 

「僕は僕だ。選ぶのは君だ」だよ。この自己肯定感。何があっても自分を見捨てない。嫌われる覚悟もすごい。お見事です。

 

 

決めるのはわたし

「わたしが」その人といて「楽しいか楽しくないか」「居心地がいいかよくないか」それだけの話。決めるのは私。どんな対人関係の中でも決定権は常に「わたし」にある。わたしの人生なんだから。被害者のフリしても無駄。いつも「わたしが」決めている。いつも「あなたが」決めている。誰かのせいにはできない。

 

 

 瞬間瞬間をていねいに終わらせる

なぜ今までこの人ちょっと・・と思いながら対応していたのか?とても楽しかった時間があってその経験に執着していたようだ。過去は過去。その時だけ。二度と同じ時間は戻らない。再現できない。だからこそ一瞬が永遠を超えるのだ。

 

あの時は本当に楽しかった。ほんとにほんとにありがとう。だけど「いま」私はどうしたい?過去はいったん終了。ありがとうの気持ち。優しい気持ちで「good luck」。ふわっと送る。気持ちの上で丁寧に一度ちゃんと終わらせる。過去は終了。これから先は謎。「いま」どうしたいか。

 

 

ただ、認め合う

あんなに自分勝手な人に出逢ったことはない。異文化って、おもしろい。いろんな自分が出てくる。多様性っておもしろい。みんな違うから、違ってくれてるから、だから出逢うんだよ。そして世界は廻る。その人らしく生きればいい。

 

 

世界に一つだけの花

自分という花を咲かせること「だけ」に一生懸命になればいい。自分自身を生き切ることに集中する。それができてはじめて自分とは違う理解できない人々をも認めることができる。認めたからって無理に相手を好きになる必要もない。相手を変える必要もない。自分が変わる必要もない。そこに余分な感情は必要ない。ただ、認めあう。まずは自分を。そして誰かを。

 

I love you, because you are you

 

あなたがあなたであるから、だから大好きです。  

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丸腰だから最強だ!!

葉っぱ隊が好きだ。葉っぱ隊が私の原点だ。葉っぱ隊をご存知ない方はぜひ。最後にリンク貼っておきます。世界中のアホが愛おしい。毎回泣く。

 

そして君は見たか?大晦日の『ガキ使』を。アキラ100%先生と原田龍二先生の『丸腰デカ』を!!

 

なんなんだあのクオリティ。あの熱量。年末に人を笑わせるためにどれぐらいの時間練習したのだろう。なんて素晴らしいんだ。爆笑した!!感動した!!大好きです。 

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丸腰マダム

何故だろう。昔から『丸腰』とか『葉っぱ一枚』とか、やたら熱いものがこみ上げてくる。『丸腰だから最強だ』。なんて素晴らしい歌詞なんだ。これ以上言葉は要らない。

 

2017年は丸腰で生きていきたい。『丸腰マダム』で飛ばして行きたい。もともと何にも持ってない。ないんだもん。どうだい、最強じゃないか。武器など何もないままで、何者でもないままで、このままで。このどうかしてるままで。『生きているからluckyだ』それだけでいいじゃないか。それ以外のことはほとんど気のせいだ、と言い切りたい。 

 

 

2016年を軽く振り返る

2016年はそぎ落とした。「やった」ことではなく「やらなかった」ことで私はわたしになれた。一番のターニングポイントは大騒ぎして周りを巻き込んで進めていたツアーを「違和感」で中止したことだろう。

 

あの時は「社会人」として完全に終わったなと思った。あんなバンジー来る??あんな「お試し」来る??自分の想いに忠実に生きるって、ほんと「きっついな」と思ったよ。全然ゆるふわじゃない。ごっついよ。覚悟いるよ。だけどこうしかできないよ。あの前後、渦中で、ほんと皆様ありがとうございました。完全に世界が変わりました。

 

 

 

そして2017年。

年が明けたらこれまた感覚がガラッと変わってる。なんというか「気楽」。まるでフィルターがかかったようにあらゆる事が喜劇に見えてくる。いろんなことのオチまで読める。なんなんだろう。新しい境地だ。 

 

 

 

すべて与えられるから 全部捨ててもいい

年末の大掃除をしていた時にふと『すべて与えられるから 全部捨ててもいい』という言葉がやってきた。降ってきたというか湧いてきたというか。もう、「さっぱり」ですね。「すっきり」生きていいってことですね。もう、「自分のこと」は終わっちゃいましたね。風が吹くね。  

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そして確信。意味もなく余裕。へらへらしちゃう。

  

ということで遅くなりましたが本年もよろしくお願いいたします。昨年は気付けば15か国ほど旅してました。今年は基本ジャパンの予定です。書く以上に人と会っていきたいと思います。一緒に遊びましょう。

 

君が変われば世界も変わる。葉っぱ一枚あればいい。君がいたからluckyだ!! 

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