ごろ寝発電

”experience is everything" 辻和美というサンプル。

親子というプレイ

f:id:kazumi1000:20160831120441j:plain

先日、初のお話会の中で「今までで一番怖かったことはなんですか?」と質問されて「会社を辞めたときです」と答えた。その時は出てこなかったけどもう1つある。つい最近母親に「産んでくれてありがとう」と言葉に出して伝えたことだ。

 

そう思ったから言ったわけじゃない。

 

「産んでくれてありがとう」って言ったら親子関係のあれこれなんて一発だよ、って助言もらって、それでその言葉を伝えたのだ。 

言葉ってすごいもので、こんなこと絶対言えないと思っていたけど、言ってみて初めて心から「産んでくれてありがとう」と思った。

 

心が先ではなく言葉が先だった。「絶対言えない」を震えながらでも、言う。そしたら見えてる景色がガラリと変わった。

 

逆説的だけど、だから「親を捨ててもいいのだ」と思った。

 

そんなヌルいもんじゃない。親子は捨てても捨てられても、そのくらいでどうにかなるようなもろいものではないのだと分かった。

 

そして、ああ、お互いの役目が終わったのだな、と感じた。親子という役目が、親子というプレイが終了し、私はここからピンで1人で立って歩いていくのだなと感じた。初めて心から今までありがとうと思えた。

 

 

お互いの役目が終了し、これからは新しい個人としての関係性が始まるのだろう。

 

みんな「自分で」母親を選んで産まれてきたと聞く。私が、選んだのだ。あの母を。母は受けて立って親となり、役割を演じ、葛藤し、そして終わった。これから「個」として、どんな風に本来の母の姿でぶっ飛んでいくのか楽しみである。

 

 

私が気づかなかったばっかりに、いつまでも娘でいたかったばっかりに、あれこれとどうしてもっと愛してくれなかったのだ、と、その愛じゃなくて、こっちが良かったのだと、ウダウダ言ってて申し訳なかった。開放されたいと思っていたけれど手放したくなかったのは私の方だった。

 

 

「母の呪い」みたいな言葉もあるけど、どれもこれも今日「愛とは何か」を知るためのお互いの役目をきちんと演じた壮大なプレイでしかない。

 

 

それにしても呪いって、ねぇ。すごい言葉だな。あはは。呪いすらも、アリなのでしょう。私が望んだプレイだったのでしょう。いつまでも気づかなくてごめん。プレイにつきあってくれてありがとうございました。

 

 

親は親の役を子供は子供の役を大いに演じて、そうしてそれを通して何かを学びたくってここにいるのだろう。すべて、愛なのでした。

 

 

いろんな感情が入り混じり、なおかつ人生の歴史も共有するからもう、そりゃあ感情的に大変なことになっちゃってるこの、「好きな人」とのディープな人間関係。恋人や夫との関係どころじゃない。しかもそこにも大きな影響を及ぼすこの親子関係。ほんと上級編だなぁ。完全にスルーしてたなぁ。

 

 

私には子供がいないので、これは子供側からの思い。

 

親側からの思い。素敵な記事。ぜひ読んでみて下さい。もしかしたらこの記事読むために東北に呼ばれて美奈子さんと知り合ったのかな、とも思いました。しかも罪悪感真っ只中だった彼女の表情も覚えてます。神様って、相変わらず半端ないです。らぶ♡

ameblo.jp

 

f:id:kazumi1000:20160831120533j:plain

  

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebook:  https://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000

Twitter:  https://twitter.com/kazumi10000

Facebookでのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに♡

フォロー、シェア超嬉しいです。無言の友達申請はどうしていいか分かりません。何かメッセージくだされ。

***********************

【よく読まれています】

【親子編】

kazumi1000.hatenablog.com

 

流れに乗る。信じるか、疑うか。

f:id:kazumi1000:20160824212254j:plain

海外ではよくあることだが対向車線大きくはみ出してくる車やバイクやいろんなものを避けながらみんな平気で運転している。人もガンガン道路を横切る。当然日本に比べて事故も多いけど、カオスの割りには事故は少ない気もする。街には一定のリズムがあってみんなそのリズムに乗って動いている。

 

 

リズムを外すと即死

一度びびって立ち止まってしまったことがある。本気で車に轢かれかけた。バイクの兄ちゃんが私を避けて転びかけた。

一定の街のリズムに乗って全てはカオスながら流れている。びびって立ち止まるなどあってはならない。流れを信じて流れに合わせて道を渡るのだ。余計な恐れは命とり。流れに乗る。これ大事。ほとんど人生訓。 f:id:kazumi1000:20160824205900j:plain

 

信じるか疑うか

初めて一人でシェムリアップの道路を歩いて横切らねばならなかったとき。とてもじゃないけどあの中に突っ込んでいく勇気がなくて経ち尽くし、車は途切れなくて困り果てていた。

 

それまでさんざん「トゥクトゥク乗れ~」と誘われていた。その大合唱を振り切って道路を見ていた。すると一人のトゥクトゥクドライバーがやってきて「どうしたんだ?」と聞いてきた。さっききっぱり乗車を断ったおっちゃんだ。「あのクリーニング屋に服を取りに行きたい。渡りたいけど無理です」と言うと何やらジェスチャーしてる。「服もらってきてあげるよ」。だけど金持ってとんずらとかヤダと思ったので「一緒に渡ってくれますか?」で、一緒に渡ってもらった。チップ、アテにされてるのかな?エジプトでの旅で気を抜いたら金要求される、ここは日本じゃない、という感覚が染みついていた。

 

無事戻ってきて、おっちゃんは「じゃあね。」と爽やかに去っていった。ただの親切だったのだ。100パーセントのただの親切。「金か?金が欲しいんだろ?」って思ってしまった自分を猛烈に恥じた。それまでの緊張も加わってその場で泣いてしまった。そしたらビックリしたカンボジア人がわらわら寄ってきて「どうしたんだ?」と慰めの嵐となり軽く騒然とした。いろんな感情がごちゃ混ぜになって余計に泣いてしまった。

 

疑った自分。ただの親切だったおっちゃん。人を信頼しようと思った。泣いている外国人を心配する人々。優しさ。多分、わたしはこの時点で完全に「旅」の深みにハマったのだと思う。自分をかき乱される、自分を突き付けられる「旅」というもの。 

f:id:kazumi1000:20160824213838j:plain

エジプトでの「くっそー、気ぃ抜いた、やられたー」って1ドル取られたり取られなかったりもある意味楽しかった。毎回勝負、みたいな感じで。基本は「そうくる?」って感じの意表を突いた攻撃のオンパレードで毎回負け続けたのだが。

 

面白くもあったけど、半分本気でうんざりもしていた。不信感バリバリだった。カンボジアの親切とエジプトでの駆け引き。

 

今なら、って思う。あんだけヤラれてもまたエジプトに行きたい。アジアの道も一人で渡れるようになったし、どこに行ってもみんなめちゃくちゃ親切にしてくれる。

 

「旅のスタイル」が変わったからだろうか。観光よりも暮らしに興味がシフトしていることと以前に比べて圧倒的に金がないので出逢う人たちが変わった。

 

それともあの出来事をきっかけに「信頼」をベースに動いているからなのか。多少のことは面白がって笑い飛ばせるようになって気にならなくなったからなのか。まったくもって謎だが、今は親切な人にしか会わない。嫌な思いを全くしない。この現象はなんだろう。

 

人を信じると決めた。が、その「言葉」を信じてはいない、ということはよくある。状況を見てそこはシビアに判断している。

 

目の前の人を信じる。100パーセント信じる。だけど状況やその状態で発せられた言葉は注意深く聞く。人は間違うものだから。

 

自分も同じ立場だったらツーリストトラップぐらいやるかもしれない。可能性は否定できない。だからそこは見極める。それでもあかんかったら、もう、それは、しゃーない。相手のせいにはしない。後はそんな自分を爆笑するか、怒り狂うか、解決策を練るか、ネタにしてブログ書くか、泣きながらだんなに電話するか、どれかを選ぶだけだ。

 

世界は信じるに値する。信じて流れにのる。丸腰で飛び込む。余計な恐れは命取り。だけど注意は怠らない。そして出逢う全ての人たちに敬意をもって関わっていきたいと心から思う。 

f:id:kazumi1000:20160824210304j:plain

 

こんなのやります。締切もうすぐです。

マジでおススメしない旅・初級編@インドネシア・ロンボク島 - ごろ寝発電

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebook:  https://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000

Twitter:  https://twitter.com/kazumi10000

Facebookでのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに♡

フォロー、シェア超嬉しいです。無言の友達申請はどうしていいか分かりません。何かメッセージくだされ。

***********************

 

【よく読まれています】 


 

kazumi1000.hatenablog.com

 

ずっと言えなかかったことが今日やっと言えました。背中を押してくれた人。

f:id:kazumi1000:20160812223327j:plain

お盆が近いからかここ数日、頻繁に3月に亡くなった年上の友人のことを思い出していた。

 

今年の1月に親との関係についてブログを書いた。(最後にリンク貼っときます。)

この記事に対してFacebookでコメントをくれた。 f:id:kazumi1000:20160812221630j:plain

 自分の誕生日にお母さんに「産んでくれてありがとう!」って言ったら?私は、全てぶっ飛んだ。なんだかこの時のやりとりがずっと気になってた。

 

最後に会ったのが今年の1月末。亡くなったのが3月末。意味が分からなかった。ガンの摘出も成功して退院して「病気ネタとか要らんな」発言まで出るほど元気だった。これから始まる彼女の新しいビジネスのことで大いに盛り上がり爆笑し語り会った。わずか2カ月で会えなくなるなんてそんなに急変するなんてその時お互い1ミリも思いもしなかった。

 

最期は自分で選ぶ

術後、抗がん剤治療を選んでいれば・・とか、いろいろ選択項はあったのだろう。だけど彼女は自分で選んで自分で決めた。そしてご家族もその意思を尊重した。最後までかっこよすぎ。私もかくありたい。

 

 

誕生日に

誕生日に実家に帰省して約束どおり母に言おうと思ってた。だけどなんとなくその前の旅の疲れもあって家に引きこもって誕生日を過ごした。ちょっとひっかかってたけど言わずにやりすごしてしまった。

 

 

なぜか突然に

8月12日の今日。あかん、今、言わねば。言おう。と衝動的に実家に電話をした。震える声で「お母さん、産んでいただいてありがとうございます。幸せです。感謝しています。」と言った。

 

さりげなく言うはずだったのにやっぱり声震えたし、泣いた。だけど言えた。

 

最初に「お伝えしないといけないことがあります」とか言ってしまったので電話の向こうで母は「え?まさか、離婚報告?」と本気でビビったようだ。

 

母が何か言葉を返してくれたのだが、さっきのことなのにいま、思い出せない。それくらい言った自分によく分からない震えがきている。そして心からそう思う。「産んでくれてありがとう」

 

 

「ぶっ飛ぶよ」「ぶっ飛びました」

私もかなりええ歳だけど親との関係にはなんだか分からない距離がずーーっとあった。それが熊本の震災をきっかけに急激に変化し、そして今日、こんなことまで言えた。

 

今日、電話で躊躇なく母に伝えることができたのは間違いなく淳子さんのおかげだ。何故か淳子さんをとても強く感じていた。

 

ありがとうございます。姿が見えなくなってもこんな風に背中を押してくれるのですね。淳子さん、ほんとうにありがとう。

 f:id:kazumi1000:20160812221717j:plain

「夜寝て、次の朝目覚める確約はないから!あ~楽しかった!で、毎日終わる!でいいかも。

別の記事にくれたこのコメント、忘れません。私はいろいろ書くけれど、思考もするし、こねくり回すときもあるし、感じたままにも書くけれど、結局は淳子さんのこのシンプルなコメントに集約される。このことを横から斜めから上から下からこれからも書いていくのだろう。腑に落としていくのだろう。

 

瞬間瞬間を妥協なく生きて、遊んで、一日を終える。毎日死ぬ。そして生まれる。「繰り返しばかりの毎日」なんて「退屈な日常」なんて本当はないのだ。いつも新しく始まっている。奇跡はいつも目の前で起こってる。起こりまくってる。起こりたおしてる。

 

 

もしも余命が2カ月ならば

もしも余命が2カ月ならば。わたしはやっぱり旅をするのだろう。そして会いたい人たちに逢いに行くのだろう。「来てもらう」のではなく「会いにいく」

 

そして会いたい人たちの住む街でその人たちの暮らしを感じるのだろう。つまり、今と同じことをするのだと思う。その時は一人旅じゃなくて絶対だんなも一緒ですけどね。

 

 

淳子さん、あの日話した内容、忘れません。出し惜しみせず、自分を低く見積もらず、このシャバを自由に楽しくスイスイと泳いでいきます。たぶん私、88歳まで生きるので次会うのはまだだいぶ先ですけど。爆笑のネタ、いっぱい仕込んでおきますね。

 

確かにほんとにイッパツでした。「産んでくれてありがとう」。あー、こんなセリフ、背中押してくれなかったら到底言えませんでした。

 

はあ。それにしても強烈ですね。我ながらよく言ったなあ。こんなバンジー久しぶり。素直になるって、なんだって溶かしていくんですね。素直に、拗ねずに、それに気づく、これ最強ですね。

 

淳子さん、これからもアホなこといっぱいやるから見てて下さい。また1つ世界が変わりました。本当にありがとうございます。愛しています。

 

 

★こんなのやります。

マジでおススメしない旅・初級編@インドネシア・ロンボク島 - ごろ寝発電

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebook:  https://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000

Twitter:  https://twitter.com/kazumi10000

Facebookでのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに♡

フォロー、シェア超嬉しいです。無言の友達申請はどうしていいか分かりません。何かメッセージくだされ。

***********************

 【コメントくれた記事】 

 


【よく読まれています】 


初公開!高田純次メソッド。簡単に自分の枠を外す方法。365日いい女でごめんなさい♡

f:id:kazumi1000:20160802173655j:plain

わたしは時々オネエになる。もともと女だからオネエって変だけど、自分が変革期にいるときオネエになると割とすんなり次のステージの扉が開く。    

 

単純にしゃべり方とか思考をオネエにするだけなので簡単かつ安全。どんだけー♡やーだー♡とか言ってるとたいていのことはクリアできる。何かに行き詰った感を感じている方に推奨いたします。  

 

不満のない人生と人生の納得度

ちょっと前までバッチリ自分を諦めていた。絶賛諦めていた。不満のない、だけどスパークしない人生。それはそれですごく幸せ。だけど感じてしまう微妙な違和感。感覚がマヒしすぎて分からなくなっていたんだな。違和感をねじ伏せて『これが幸せだ』と思い込むことと自分が『納得できる人生』の違い。

 

初公開!高田純次メソッド

それまで効率や論理的思考、会社に利益をもたらすことが一番重要だと思ってた。自分の事なんか考えてこなかった。それはワガママだと思ってた。

 

そんな頃縁あって中野裕弓さんの伝説の6カ月セミナーに参加。そこで楽に生きる、自分を愛す、本来の自分を思い出す作業をするのだが、その時期私が編み出したのが『高田純次メソッド』である。

 

なんでこんなことを始めたのか今となっては謎だが、私なりに必死だったのだろう。

 

単純に高田純次になりきるのだ。この局面でもし私が純次だったら?どう考えるだろう?なんと言うだろう?どう行動するだろう?ひたすらなりきる。 

f:id:kazumi1000:20160726232304p:plain

自分の枠を外したいときに自分以外の人になりきる、という行為は非常に有効だ。一度固まった自分の思考から離れて他者の思考で物事を見てみる。確実に別の目線が確保できる。あの人ならこんな時どう考えるだろう??「わたし」を一度外してみる。

 

 

純次とはなにか?

純次は言わない。グチや否定的なコメント、頼んでないアドバイス、言い訳、弁解、責任転嫁、その他ネガティブコメント。純次は言わない。正論を押し付けない。純次すごい。純次になりたい。そうだ!純次になろう!『高田純次メソッド』完成の瞬間だ。

 

 

365日いい男でごめんなさい

『365日いい男でごめんなさい』だよ。究極の自己肯定。さっそく『365日いい女でごめんなさい』と付箋に書いて貼った。ええ、職場で。一番長く居る職場のPCに貼りました。何とかして自分の殻をぶち破りたかった。必死です。

 

以下、純次語録を少し。

・「おじさんに欲しいものを言ってごらん。そのかわり、あなたがお金を出して買うんだよ」

・「え?その時計、時間がわかるの?素晴らしいな~」

・「オレは『ストレス』っていう言葉をさっき初めて聞いたよ」

・「呑みに行っても変なことはしないよ。ただ全裸でグルグル回ってるだけなんだ」

・「お風呂はどこから入るの?アタマから?足から?・・・足から入るの!?・・・頭のいい子だねぇ~」

 

もう、マジでほんとうにどうでもいい。発する言葉は無駄しかない

 

 

  

自撮りせよ。加工せよ。ナルシスト上等!

自分の女性性が認められなくて化粧もおしゃれも苦手で自分でもそこがブロックだと分かってて、でも〜、ってウダウダ自意識こねくり回してたら、信頼する人に自撮り投稿を勧められた。うーん、と思ったけど素直にやってみた。これまだ数カ月前の話。

 

アプリで撮るとびっくりするくらいキレイに加工されてて驚いた。ほお。で、加工自撮りをするたびに女であることが少しづつ好きになった。  

 

ブログに自分の顔を使った時は自撮りの投稿とかマジありえへんと思ってたからほとんど修行。ナルシストだと思われたらヤダーとの戦い。でも、やる。 

f:id:kazumi1000:20160730181926j:plain

そしたら分かった。自分で思ってるほどみんな私のこと気にしてない!!まさに自意識ライジング!危うく自意識ビッグバン!

 

だから何もかも自己満足でいいんだよ。 他人の目なんかクソくらえ。自分で素敵って思ってればそれでいいの。ナルシストですが、何か?ノンスタイル井上師匠、好きです。

 

東南アジアの人たちなんて、携帯の待ち受け画面、自分だからね。そこまで行きたいよね。「自分に憧れる」くらいまで振り切りたいよね。

 

自撮り、加工、死ぬ気で投稿、自己満足。勇気は要るけど簡単。オススメです。 

 

 

人生なんて簡単に変えられる

望むなら人生なんて簡単に変えられる。そもそも固定化した自己、わたしはこうだ、ってこと自体が幻想なのだから。誰にどう思われようといいじゃない。可能性しか、ない。

 

純次になろう

いっそ純次になってしまえ。そんな日があってもいい。自分を一度離す、なりきる。別の人生の可能性を感じてみる。いつもの日常が違って見える。自分が変われば背景が変わる。いま見えている世界だけがすべてではない。いま信じている価値観だけがすべてではない。もちろん純次がすべてでもない。

f:id:kazumi1000:20160802173726p:plain

自分自身に対して緊張している人が多すぎる。もっともっとご自愛ください。そしてもっともっと自分を笑う。笑っちゃう。アホになる瞬間って素晴らしい。枠が外れて溶け出していく。本気で生きる。これ、たまりません。だけど「この生き方」をおススメはしません。誘ったりしません。最後は自分で決めて自分で道を歩くのだ。   

僕だって、
なぜ自分がちょいと成功しちゃったのかなんて、わからない。
人並み以上の努力をしたかといえば、そんなことはまったくない。
ただひとつ、他人よりも少しだけ「楽しく生きよう」と思っていたかもしれません。 高田純次

 

 ※こんなのやります。募集期間が短くてヒリヒリするわ~(^▽^)/

マジでおススメしない旅・初級編@インドネシア・ロンボク島 - ごろ寝発電

 

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebook:  https://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000

Twitter:  https://twitter.com/kazumi10000

Facebookでのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに♡

フォロー、シェア超嬉しいです。無言の友達申請はどうしていいか分かりません。何かメッセージくだされ。

***********************

  

【よく読まれています】 

 


【前回のオネエ】 


 

迷ったら、ヤバイ方へ。

企画を練っている。練りまくっている。お約束の損益分岐点が気になるところだがそんなものをぶっ飛ばして楽しい♡おもろい♡たまらん♡だけをブッこんでいく。

 

「いっそ赤字になってやろう」と思い始めてから笑いが止まらない。

 

小学生の夏休みのような高揚感。ヤバイ

 

わたしは何がしたかったのかな。

 

わたしは何がしたかったのかな。

 

ただ、遊びたい。「しごと」を通して大好きな人たちと遊びたい。まだ見ぬ「出会うべき人」と出逢いたい。新しい世界を一緒に見てみたい。

 

今まで「しごと」と「暮らし」や「人生」が切り離されて生きてきたからしんどかったんだな。しごとも人生も自分に違和感なく融合させたい。

 

さあ、人生を取り戻すよ。

 

「企業は利益追求団体です。甘えるな、そのうえで思考せよ」とか人に言ってたのが懐かしい。さんざん学んだビジネスロジックを飛び越えて「赤字になってやろう」とか、我ながら頭おかしい。楽しい。

 

 

お金を熱量だととらえていないとできないことだろう。数字、でとらえるとこんなクレイジーなことはできやしない。お金をお金とだけとらえるとできやしない。循環しているエネルギー。数字そのものではないものが回っている。私をワクワクさせてくれる。「ある」しか見ていない。

 

 

先日最高のイベントを成功させた大好きな友人がシェアしてくれたこの記事。タイムリーすぎる。こんなタイミングでこんな後押しってあるのかな。

宇宙からのメッセージ|Happyオフィシャルブログ「世界は自分で創る」Powered by Ameba

 

 

私はお金に困らない。口元にほくろがあるから。根拠はこれだけ。そんなもんでしょ、何事も。実は。

 

 

だけど個人では何もできない

アホなことができるのは個人事業の特権。リスクも責任も自分が負う。覚悟。矜持。だから好きに想い描いていい。だけど個人ではなにもできない。一人ではなにもできない。

 

企業が提供してくれる何かを使わせてもらわなければ絶対に成り立たない。絶対に。

 

企業も消費者がいなければ成り立たない。win-winそしてその先のもう1つのwinをこれから形にしていきたい。『三方よし』、昔から大好きな考え方。近江商人半端ない。

 

迷ったら、ヤバイ方へ。何かに迷ったらここに立ち返ろう。おもろい方へ。魂がスパークする方へ。表面的な損得の向こう側へ。スパークしない人生なんて、要らない♡

f:id:kazumi1000:20160730181810j:plain

 ※マジでおススメしない旅@ロンボク島~アホになる1週間。心に余白を創る旅~

を10月にやります。8月8日から受付開始。受付期間は20日間。これもクレイジー♡詳細はしばしお待ちください。

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebookhttps://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000
Twitterhttps://twitter.com/kazumi10000

Facebookでのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに♡

※シェア、フォロー大歓迎です。メッセージなしの友達申請はどうしていいか分かりません。なにかメッセージくだされ。

***********************

【いらっしゃい。どうせならこれも読んでって。】

 

kazumi1000.hatenablog.com

 

 

 

 

それって問題だったのでしょうか?

先日訪れたロンボク島には不登校という概念がない。

 

もちろん学校もあるし義務教育もあるのだが学校に行かないことが「問題になっていない」のだ。「だってこの子が行きたくないって言うんだもん」以上。

 

親も社会も学校に行かないことをことさら強く「問題視」していない。そうすると不登校は問題ではなくなる。

f:id:kazumi1000:20160729112016j:plain

あの島のあのゆるい空気感。学校に行こうが行くまいがそんなことはどっちでもいい。お前は存在しているだけでいいんだよ。何かをしていても何もしていなくてもOKだよ、だってそうしたいんでしょう?と優しくそして強く存在の全てを肯定する。存在の全肯定がデフォルト。

 

『無価値観』に苦しむ日本人は多い。『べき』『ねば』から外れると『問題』になる。だけどそれって本当に問題なのでしょうか?

 

なにかをしているから価値がある?なにもしていないから価値がない?

 

学生時代に社会的死と生物的死の違いの話を授業で聞いてなるほどと思った。例えばスティーブ・ジョブズの死と私の死は同じか?といったら違う。社会的影響度でいったら全然違う。だけど「死」そのものではどうか?「死ぬ」という一点においてジョブズの死も私の死も同じである。生きていない、というだけだ。

 

社会的な「死」と生物学的な「死」は別のものだ。同じく社会的価値と人が生きる価値は別のものである。どっちが上とか下とかじゃなくて違うもの。それだけ。ここを混同するからややこしくなる。

 

日本の教育水準の高さ、識字率の高さ、それはそのままジャパンクオリティであり、海外に行けば行くほど「日本人」であることのありがたさを噛みしめる。「人として」素晴らしい行為をしてくれていた先人のおかげで「日本人です」と言うとにっこりしてもらえる。「教養」は大事。めっちゃ大事。だけど「教養」ってある意味「生きざま」なんじゃないかとも思う。

 

問題は問題視した瞬間から問題になる。問題を作ってる、ともいえる。みんなで「そうなんだー」ってただ笑ってれば問題にならないことっていっぱいあるんじゃないかな?無論進歩とか改善という意味においてはその発想は弊害もあるけれど。だけど単純にロンボク的空気感、大好きです。

 

それでいいんだよ~と優しく包んでくれる場所がちゃんとこの世に存在するってことが、なんか、いいな。そしてそんな感じで生きてる人たちもいる、って事実がなんだかとっても嬉しい。だから日本はだめだ、だからロンボクは発展しないんだ、っていうんじゃなくって、どっちもあるんだなあ。どっちもすごいなあ。どっちも自分に合う部分と合わない部分があるんだなあということを余計なジャッジなくただただ味わいたいなと思う。

 

今回はちょいと短めで。それではまた、お便りします、母上様。一休。

 

 PS.あまりに価値観違い過ぎて面白かったので人と話す系のロンボクツアーするかもです。興味ある?

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebookhttps://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000
Twitterhttps://twitter.com/kazumi10000

Facebookでのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに♡

※シェア、フォロー大歓迎です。メッセージなしの友達申請はどうしていいか分かりません。なにかメッセージくだされ。

***********************

 

【よく読まれています】 

 

kazumi1000.hatenablog.com

 【関連記事】

 

kazumi1000.hatenablog.com

 

ルアンパバンで朝食を。腹を下せ!散財しろ!

f:id:kazumi1000:20160717184952j:plain

ラオスのルアンパバンに来ている。その前のロンボク、ハノイは会いたい人に会うという目的があったがここから先は完全にいつものグダグダの一人旅だ。下調べをしないので恐ろしいほど取りこぼすマジでオススメしない旅となる。

 

 

物価が高い

想定外に物価が高い。もちろん日本に比べればかなり安いけど私にはちょっとキツイ。ハノイより高い。なんだかんだで調子に乗ってたら所持金が厳しいことに。

それ以外はご飯は美味しいしのんびりしてるし何にもないのになんか楽しい。普通にいろいろトラブルもあるけれどたいしたことじゃない。ラオス好き。文字も可愛い。

f:id:kazumi1000:20160723052929j:plain

 

突然にブチ切れる

朝ごはんの店を探してた。ふらっと入った店でヌードルスープを食べて散歩していたら急に怒りが込み上げてきた。大きな転換点だ。新しいタイプの激しい怒りだ。決して忘れないようにここに記す。

 

 

「悪くはない」「こんなもんだ」

店を選ぶとき、値段も衛生面も全てに日和った。なんとなく無難な店を選び、なんとなく無難なヌードルスープを食した。ひどくはないがほどほどマズい。しかし食しながら「悪くはない」「こんなもんだ」と思った。思ってしまった。ここに気づいた瞬間、ブチ切れた。

 

 

腹を下せ!散財しろ!

自分に腹がたつ。所持金を気にして衛生も気にしてほどほどのところで手を打って、何が食べたいかさえ分からずに妥協して出てきたのはやっぱりほどほどマズいヌードルスープ。マズいのがダメなんじゃない。そんなんじゃない。そのときの私の「在り方」が問題なのだ。

 

こんな生き方は以前と同じだ。これじゃない。こんな生き方がしたくて虫に食われてるわけじゃない。

 f:id:kazumi1000:20160723054908j:plain

 

時間=いのち

ほどほどな飯。無難な選択。まあいいやの時間の使い方。適当な愛のないお金の使い方。時間つまり人生つまり命。こんなんでよかったの?

 

お金は無くなったら稼げばいい。私ならできるでしょ?何をいちいち残高気にして日和っているのだ?旅というものに慣れすぎてないか?あの無難なヌードルじゃなくてこの道端のこの何か分からんヌードルが食べたいんでしょ?食べたいならなんでも食え。そんで下痢でもなんでもすればいい。腹ぐらい下しちゃいな。道端で食っちゃいな。YOU腹下しちゃいなよ。そんで高い店にも入っちゃいなよ。YOU散財しちゃいなよ。本当はどうしたいの??

  

 

「わたしにとっての」最高の人生。

そんなヌルくない。都合のいい事ばかり選ぶだけじゃ自分を大切にしてることにならない。心の奥は時々自分の常識を飛び越えたところで望みを発する。だから最初は勇気が要る。怖い。恥ずかしい。だけどやってみたら最高だった。

 

きっと死ぬときに自分を一番誇らしく思うのは、いま思い出しても恥ずかしくて死にそうな「あのこと」だ。ほんと良くやった。自分を尊敬する。何のことかは内緒だけど。

f:id:kazumi1000:20160723052508j:plain

一瞬。思考が入り込む前の一瞬。この一瞬に従って動く。会いたーい、行きたーい、やってみたーい。小さな願いを無視しない。思考でねじ伏せない。分かったフリしない。かっこつけない。なんでも叶えてあげるよ。

 

 

"Experience is everything" 体験がすべて。

いろんなモノを見たい。体感したい。他の誰でもない「わたしにとって」だけの最高の人生を歩きたい。体験がすべて。体感が全て。心のずっと奥のほうがそう望むなら一切の妥協なんて、ナシだよ。知識だけじゃなく「行動」で。

 

 

旅に慣れるな。人生に慣れるな。

後のことは知らん。いま、今を生きるということ。何が「悪くない」だ。何が「こんなもんかな」だ。その台詞で、その考え方で、自分を生きてなかった30代はほとんど記憶がない。無難を選び続けることで完全に感覚をマヒさせてた。忘れたの?思い出せ。旅に慣れるな。妥協するな。人生に慣れるな。

f:id:kazumi1000:20160723045632j:plain

こんなもんじゃないよね。もっともっと生きてる喜びに震えたっていいんだよね?本気で生きたっていいんだよね?制限なんてないんだよ。振り切れ。行ってまえ。

 

 

 2016.7.17 朝食激怒事件とす。

忘れない。今日の日和った自分を、普通にマズいものを無理矢理いい気分に持っていくために己のヌルい行為を納得させるために 「悪くないじゃん」と誤魔化したことへのこの怒りを忘れない。腹の底からのこの愛ある怒りを忘れない。

 

気づかずにこんな風に今まで日和ってきたのだ。自分を誤魔化してきたのだ。痛恨のミス。だけどわたしは気がついた。ちゃんと気がついたよ。ありがとうございます!!

 

ドカンと両替だ。次のチェンマイのことは考えない。豪遊するぞ。素敵なカフェにも入るぞ。明らかに腹下しそうな汚ったない道端の屋台で何でも食うぞ。いま、いま、いま。

 

明日のことは全て謎。だから後は神様にお任せ。さあ最高に雰囲気いい店で呑むよ。楽しむよ。なんか笑けてきた^ ^

f:id:kazumi1000:20160717191357j:plain

少しづつ、だけど確実に見える世界が変わっていく。

 

こんなにも激しく愛をもって自分に怒ったことはない。どうしようもなく自分であること、自分でしかないことにこれまでにない深い喜びを感じる。

f:id:kazumi1000:20160723045523j:plain

ラオスの空は突き抜けるように青い。あの青さをつかみたい。無難な選択を振り切って見たい世界を見に行きたい。私はちゃんとわたし自身であり続けたい。

 

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebookhttps://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000
Twitterhttps://twitter.com/kazumi10000

Facebookでのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに♡

***********************

 

 【捨てちまええええな話です】

 

【わたしにとってお金とは投票権です】 

kazumi1000.hatenablog.com

 

実は東南アジアが苦手です。突き抜ける瞬間。


f:id:kazumi1000:20160707133351j:plain

実は東南アジアが苦手だ。ゴミゴミしたとこも匂いも空気の悪さもトイレも強烈な日焼けも虫に食われまくるのも、大の苦手。こんだけ頻繁に行きまくっているのに空港に降りた瞬間、しまった、わたし苦手なの忘れてた!といつも思う。

 

 

なのに何故

行く前まですっかり忘れてる。うっかり忘れてまた行きたくなる。学習能力ゼロ。到着して数日はあー、やっぱあかん!と思う。リゾートホテル滞在とかの旅じゃないしね。今回の旅、前半は20年前のバリと言われるロンボク島。ホームステイ。ディープな方を選んでしまう。

 

 

トイレ問題をぶち破る

いつもトイレがとにかくネック。今回のステイ先は手おけの水でお尻洗って手おけの水で排泄物を流すという紙を使わない「手動」水洗トイレ。和式的な便器の横にプラスチックの大きめのタライがあって井戸水が汲み置きしてある。その水は水浴びにも使う。シャワーなどない。ある意味ユニットバス。そして扉は壊れている。外ではなく家の中。家族が寛ぐ真横のここで水浴びはともかく用を足す、というのはかなり私にとってハードルの高い行為。数日目にしてやっとトイレ問題を克服した。その瞬間、何かが吹っ切れた。この感覚!自分を覆っていた小さな常識の枠がまた一つ外れた。今ではすっかり気に入っている。

 

 

どうでもよくなる瞬間

到着後しばらくは日本を引きずっている。マレーシアのようにインフラの整備された国は超極楽だが、インドネシアの地方クラスになるとやっぱりひるむ。体質なのかいつも私だけ果てしなくアリやその他虫に刺される。びっくりするくらいボコボコに腫れる。さらに日焼け止めにかぶれる。いつも肌がボロボロになる。マジでやだ。だけどあの瞬間がやってくる。

 f:id:kazumi1000:20160706221352j:plain

 

爆笑しながら一人歩く

空港に着いても何一つスムーズに行かない。今回はありえへん大雨の中を荷物担いで歩いた。しかも白タク掴んでしまった。爆笑した。もう、爆笑なのだ。困ってとほほと笑うどころじゃない。爆笑する。こんな風にヤラレまくってる自分に爆笑する。ゲラゲラ笑う。力が湧いてきていろんなことがどうでも良くなっていく。

 

 

小じわとかどうでもいい

日本にいると小じわとかしょーもないものがやたら気になる。衛生面とか匂いとかちょっとしたものが気になる私だけど、ここに来るとどうでもよくなる。誰も気にしてないし自分も気にならない。大事なものは何か。必要なものだけを担いで旅しながらそこしか見えなくなる。いろんなことが問題でなくなる。視点が変わる。

 

 

何を気にしているの?

小さなことを気にしていた自分が信じられない。数日前まで日本にいて煮詰まっていた自分が信じられない。もう、どうでもいい。こんだけ虫に食われりゃどうでもいい。

 f:id:kazumi1000:20160706215010j:plain

なんだって叶えてあげる 

わたしが望むならなんだって私が叶えてあげる。そのために必要な現実的なことは全部私がクリアしてあげる。わたしが望むなら、なんだって見せてあげる。誰にだって会わせてあげるよ。

 

私は選べる。どこにでも行ける。どんな生き方だってできる。自分を制限しているのはいつだって自分。罪悪感とか自分への信頼とか。それだけ。

 

 

"For The Other Half Of The Sky." (「空のもう半分へ」)

ジョンレノンの ”Woman” という曲の冒頭でジョンがささやくように言うこのセリフが好きだ。空の半分である女たちへみたいな感じなのだがここの部分が好きで勝手にいろいろ解釈している。

 

空の半分は、心の半分は、いつも空けておきたい。「春日のここ、空いてますよ」的に軽い感じで空けておきたい。

 

自分とは違うものを理解しがたいものを受け入れられる優しい余白を空けておきたい。

 

あらゆるものを面白がれる共存できる心の余裕を失いたくない。

 f:id:kazumi1000:20160706220127j:plain

わたしは東南アジアに着いた瞬間に帰ってきた!と思うような「ここが合ってる」というタイプのアジア好きとは違う。どこまでも洗練された清潔な日本が好き。だけどまた旅に出てしまう。人の暮らしが好きすぎて、その優しさと生命力が好きすぎて、シンプルな笑顔が好きすぎて、そして何より突き抜ける瞬間の自分が好きすぎてアリに食われているのだろう。

f:id:kazumi1000:20160706203744j:plain

オススメしない。こんな旅はオススメしない。だけど、また、ついうっかりと足を運んでしまうのだろう。そして爆笑するのだろう。自分の中の何かをぶち破り続けるのだろう。

 

おすすめしない旅  #4   また一つ増えてしまった大好きな空の半分、インドネシアロンボク島にて。

 

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebook: https://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000
Twitter: https://twitter.com/kazumi10000

Facebookでのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに♡

***********************

 

【よく読まれています。】

 

kazumi1000.hatenablog.com

 

 

 

受け取るということ。その人なりの。

インドネシアロンボク島に来ている。素敵な言葉を教えてもらった。 「テリマカシー」テリマ(受け取る)カシー(愛情)。インドネシア語でありがとう。

 

ありがとう=あなたの愛情を受け取ります

 

 

そういう風に考えると他者から示された行為つまり愛情を「そんなの悪い」とか「申し訳ない」とか言って受取拒否って、ねえ。 受け取ろうぜ!!

 

自分の行動や思考が不安ベースだと相手も不安から無理してる気がしてつい「そんなの悪い」「申し訳ない」って受け取れない。だけど自分の行動や思考が常に愛情ベースであれば相手の行為も愛情からのものだと素直に思えて受け取れる。お気軽に。

 

 

こんな風に。

f:id:kazumi1000:20160703023854j:plain

「 あの人かっこいい」とか言いながら気軽に愛情を受け取りに行く彼女に一切の迷いはない。プトゥリ姫3歳。

 

しかもここ、輸出入を扱うレッキとした税関ですよ。雰囲気的に重要そうな奥の部屋だし。

 

まずは構ってくれるのがすごい。ロンボクの人はとにかく子供に優しい。知らない子でもなんでも、みーんな子供に甘々めろめろ。溺愛。ちなみにここの役所の人は仕事が早いしデキる人たちだった。ほんと素敵。

 

あげくこんな感じ。まじっすか。

f:id:kazumi1000:20160703024112j:plain

これだけ寛容にあらゆる大人に無条件に愛されて育つときっとなんの疑問も持たずに自分大好きになれるんだろうな。  

 

 

その人なりの。

まあ、時々その愛要らんねんをくれる人もいるけれど。それ愛じゃなくてただの己のエゴですよねと思う時もあるけれど。

 

 

だけどそれさえも突き詰めれば「その人なりの」愛情。

 

 

自分の思うまたは思い込んでいる愛情とは違う形でくれた愛情。

 

 

受けた行為は屈折していようが分かりにくかろうが「その人なりの」愛情。でもだからって頭で感情を抑える必要はない。嫌ってもいい。憎んでもいい。気が済むまで思いっきり。ガッツリと。そしたら出てくる。

 

 

ありがとう。でも、もうそれは今の私には要らないの。愛情をありがとう。そっと手放す。

 

あるいは

 

ありがとう。遠慮しないで躊躇なくあなたの愛情を受け取ります。それは時にお金の形だったりもする。

 

 

ラマダン期間中夜通し爆音で流れるコーランを聞きながらじんわり癒されています。

 

 

それではまたお便りします。母上様。一休。(これ何人分かるかな?)

 

 ***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebookhttps://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000

Twitterhttps://twitter.com/kazumi10000

***FBのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに***

 【こんなのも書いてます】

おスネかじり虫。ほんとうの自信。お前は何者なのだ?

f:id:kazumi1000:20160530052926j:plain

『おしりかじり虫』が好きだった。よく分からんけど分かる気がする哀愁さえ感じる名曲。「かじってなんぼの商売だ」商売だったんかい!「かじり稼業は歯が命 虫歯になったら命取り」かじり稼業って!といちいち突っ込みたい。楽しい。

 

それでふと思った。わたし、いま、「おスネかじり虫」やわー。って。

 

 

まだですか?マジですか?

先日、本職世界を旅するマッサージ師、副業占い師という方に観音様カードなる占いをやってもらった。一番知りたかった「これからわたしは何をなすべきか?」「わたしがやるべきことは何か教えてください」と念じて念じて念じまくってかなりクリアな感覚で引いたのがこのカード。

 

f:id:kazumi1000:20160530050901j:plain

 

「休憩」きゅうけい。ぐわぁぁぁぁぁぁぁ。まだ足らんか?まだあかんのか?仕事辞めてもう2年だよ。さっさとビジネス始めたいよ。もういい加減しんどいよ。「しんどい」って何が?

 

 

ぶっ飛ばされそうだけど・・・

働いてた頃こんな事言う無職の奴がいたらぶっ飛ばしてやりたかったけど、言う。働かないの、しんどい。どうしても頭の片隅に「何かやらねば」があって焦るし、罪悪感もあるし、「いまなにやってんの?」と聞かれた時になんか言い訳みたいに「ちょっと前まで働いてたけど今は辞めて旅してます」っていちいち言ってる自分にモヤッとするし、なんというか普通に働いてた方が「何か」を突き付けられずに済むというか。「何か」、つまり「お前は何者なのだ??」。

 

 

専業主婦ですか?

今まではちゃんと主婦の仕事できてないから申し訳なくて「専業主婦」って名乗れないと思ってたけど、違った。違ったんすよ。わたし、ずーっと専業主婦ってものを馬鹿にしてたの思い出した。「自分で稼げない奴」って下に見てた。あの生き方だけは嫌だと思ってた。自立すること=稼ぐことって思い込んでたから自立できない女なんて絶対嫌だと思ってた。もっと深いところでは「女性的な生き方全般」「女である自分」を否定していたんだろう。

 

 

未消化のものがあるってことでしょうね。

 で、カード引いて「これ以上休憩したくない」って言ったら「未消化のものがあるってことでしょうね」と。唸った。実は分かってた。そんな気してた。頭がめちゃくちゃ焦ってていろいろ始めたがるのに心の奥の方がなかなか「Go」と言ってくれない。だけどもう限界だから奥の方無視してとりあえずなんか始めようと思ってた。むむむむむ。了解しました。未消化のモノも実は分かってます。向き合います。

 

 

なぜ、なにかをしようとするのだろう。

「なにもしていない(金を稼がない)自分には価値がない」と思っている。「せめてボランティアでもしよう」とか「役に立たない自分には価値がない」と思ってる。「意義のあることをしていない自分には価値がない」と思ってる。まだわずかに残るこの感覚。以前なら全然OKだった微量のぼんのちょっとの濁りを今は許してもらえない。完全にクリアでないと。自分の言葉じゃない言葉を発したときも違和感がはんぱない。

 

 

裁くことが結局は自分を縛る。他者をジャッジするから自由になれない。

自分とは違う他者の生き方を否定してきた分、がっつり今、自分に返ってきてる。自分の思い込み、他者へのジャッジが自分を縛ってる。自由を阻害する。根深く「価値」=「働く」=「金を稼ぐ」があって、さらにこれまでさんざん「自分で稼がない者」を否定してきたからここ抜けるにはとことん「稼がない」必要があるのだろう。「食わしてもらう」=「屈辱」みたいな意識もまだすこーし残ってるし。負けてもいいのにね。ってか勝ち負けじゃないのにね。

 

  

おスネかじり虫

「和美さんいま何してるんですか?」と聞かれたら堂々と「はい、夫のおスネかじって生きてます」「丈夫なおスネでありがたいです」と晴れやかに「一切の濁りなく」「一切の罪悪感なく」言えない限りわたしの場合は本当の意味で自由にはなれない気がする。次に行けない気がする。一番否定してた生き方をしたかったとはね。結局、「ずるい」って思ってたんだろうなあ。要は羨ましかっただけなんだろう。

 

 

かじれるスネがある人はいいですよね

はい。そうですね。だけどめっちゃ行動しましたから。ガチで婚活しましたから。なのでそういう言い方は受け付けません。付き合って結婚するまでめっちゃ早かったけど、ほとんどハメたようなもんです。内緒だよ。

 

 

ほんとうの自信 

 「旅人」と呼ばれること。「ブロガー」と呼ばれること。「主婦」と呼ばれること。この3つが嫌で嫌で嫌で嫌で、「旅人じゃないただ移動してるだけだ」、「ブログで1円も得てないからブロガーじゃない」、「ろくに家事してないから主婦じゃない」、「何かに決めつけられたくない」「カテゴライズされたくない」「わたしは、私なんです!!!」って吠えてたら大好きな中野裕弓さんにサラッと言われた。

 

「そこにこだわってるってことは、自分に自信がない、ってことよ」

 

え???

 

「人に説明するときは旅人って言った方が分かりやすいし便利じゃない?自信があればなんだって認められるのよ。ほんとうに自信があればいっちょかまさなくても座ってられるのよ」

 

ほんとうの自信。

ほんとうの自由。

ジャッジしないこと。

なんと呼ばれようと思われようとこだわらないこと。

 

自分次第でなんだって自由自在だね。 「かじり稼業は歯が命 虫歯になったら命取り」気をつけよっと。

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebook: https://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000

Twitter: https://twitter.com/kazumi10000

***FBのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに***


【いらっしゃいませ。どうせならこれも読んでって(^▽^)/】

 

kazumi1000.hatenablog.com

 

 

 

呆然とする時期。ごろ寝してる場合ちゃうぞ。何が終わって何が始まるのか。

f:id:kazumi1000:20160513093712j:plain

何回目かの呆然とする時期に突入している。何事もほんと場数だなあ。ああ、来たね、って感じ。初めての時はジタバタしたけど今回は冷静。ちょっと余裕。私が呆然とするのは自分の中で何かが終わったとき。

 

 

ひとつの終わりはある日突然に

今回はほんと突然ひとつの終わりがやってきた。実家の屋根の上で。で、終わったな、と呆然として、「ブログを書く理由や意味」もなくなった。だって分かっちゃったんだもん。わたしは「分かってなかったから」「知りたくて」書いていたようだ。

 

f:id:kazumi1000:20160520012541j:plain

 

あれも必要ない、これも必要ない、「語る必要もない」。茶道とか書道、華道、陶芸、盆栽とか言葉ではない、人と対峙しない表現方法が生まれたのがよくわかった。わたしもこっちに移行するんだろうなーと思ってる。

 

 

自分を愛する必要もない

結局、何が終わったのか。わたしは全てのものに愛されている、これまでもずっと愛されていた、と完全に分かっちゃった。「すべて、ある」「すでに、ある」って分かっちゃった。だから外に何かを求める必要がまったくなくなった。と同時に「なんにもない」ってことも分かっちゃった。人生に意味はない。これって別に悲しいことでもネガティブなことでもなんでもない。完全に満たされた、って感じ。もはや自分を愛する必要さえ、ない。

 

 

 

繰り返すんでしょうね

とはいえ経験上「分かった!」と「分かってなかった」を繰り返してどんどん精度を上げていくんだろうと思う。これで終了ではない。とんでもないビックリするような「もっと分かった!」が来るのだろう。で、「わー、なんも分かっちゃいない!」も、もれなくやってくるのだろう。だってこれで終了だったらわたし、仙人っす。でも、悟っちゃったのかと一瞬思いました。で、呆然としてました。やることなんもない・・・・。

  

 

やっぱり来ました「分かってなかった!!」

今回はかなり早めに来ました。例の「分かってなかった!」。今回は60歳の超絶素敵な女性と夜通し話してるうちにそれが来た。この方とお会いするのは2回目なんだけど会うべきタイミングといい何もかもの絶妙さに震える。パーフェクト。神様ありがとう!呆然の正体。次は何が始まるのか。

 

「分かってる」と思い込んでた「愛すること」を私は「何ひとつ分かっちゃいなかった」。さらに実は他者は信じているのになんと「自分を信じていなかった」。自覚なく自分を責めていた2つのある出来事も思い出した。そしてそれをその女性が溶かしてくれた。自覚がなかったから分かんなかったなあ。自分がいかに刹那的に生きてたかも。そしてその刹那に永遠をみてたんだけど「いま、ここ」の認識も実は微妙に違ってたんだなと。

 

同じ言葉でも理解度で体感がまったく違う。分かってるつもりレベルもそれぞれ違うのに同じ単語で話すからややこしいのね。数十歩先を行く人はこの似て非なるものがビシーッと分かる。すごかったなあ。ありがたやー。

 

結局わたしは「なんも分かってない」から生きているのだろう。びっくりするほど分かってないってよーーーく分かった。ということは、また書くのだろう。

 

 

ごろ寝してる場合ちゃうぞ

合わねー。いまの感覚にこのタイトル、「ごろ寝発電」合わねー。ごろ寝してる場合ちゃうぞ。ごろ寝して世間眺めてるだけのわたし、死ね。

 

 

ごろ寝発電を封印す

ブログタイトルを「ごろ寝発電」ってつけたのには私の中でそこそこ深い意味と理由がある。でも今はまだまだそこには至れてない。この境地にはまだ足らん。経験が足らん。自分を笑い足らん。ぜんぶ笑い飛ばしていきたい。

 

いずれにせよここからは「自分を許すこと」と本当の意味で「愛すること」を知ることがしばらく私のテーマになるだろう。「愛されること」は終わったから。ちなみに「多様性と寛容さ」は私の人生のテーマ。

 

 

増殖と分裂

もっとどんどん自分を分裂させてどんどん自分を増殖させていきたい。ブログも書いては破り、蹴とばし、一貫性なんかクソくらえ、で書きなぐっていきたい。作務衣着てる陶芸家のイメージ。ええい、こんなものおおお!!と、出来立ての壷とかガンガン割っていきたい。せ、せんせい、おやめ下さい、みたいな。知るか!割るぞ。割りまくるぞ。

 

 

次回からは『朝起きてケバブ』にブログタイトルを変えます。いろいろ真面目に考えたけど、なんとなく語感で。安定感のない荒くれブログになるかもです。まあ今も特に安定感はないですけど。「備忘記録感」「日記感」が出るのかなあ。謎。明日のことは全部謎。

 

 

揺れ動き続け、ジタバタし、分裂し、増殖し、すり抜ける。分からないまま進み続けたい。「一貫性?」あはははは~ ♪

 

 Everything Including Myself is Constantly Changing.

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebook: https://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000

Twitter: https://twitter.com/kazumi10000

※FBのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに。

***************************

  

 ◆前回呆然としたときの話


 

◆今回呆然としたときの話

kazumi1000.hatenablog.com

 

 

 

 

 

おすすめしない旅#03 マラッカでノーマネー

刻々と日が落ちていく。初めての知らない土地では絶対に夜は一人で出歩きたくない。なんとなくピースな雰囲気で大丈夫っぽいけど道に迷ってるままじゃ不安すぎる。ここはどこ??

 

か、金がない・・・。

 

f:id:kazumi1000:20160510080745j:plain

正確にはお金はあるが両替商がクローズしてて、時間も遅すぎていろんなところクローズしてて、一切両替えができない。到着したら両替えできるでしょ、と思ってた自分が甘すぎた。マラッカ、意外と小さい街だぞ。しかも春節(中国の正月)だぞ。しかも夕方だぞ。

 


現地通貨がない、ということは、いくらドルや円があっても、お金がないってこと。もし何かで円が大暴落して海外で、円なんて要らねーよ、なにそれ?って言われちゃったらマジでただの紙切れですよ、お客さん。そんな時はクレジットカード?安宿ですもの。屋台ですもの。もちろん受け付けちゃくれませんわよ。キャッシュキャッシュおほほほほ。

 

 

それにしても翌日13時までに長距離バスで移動完了して絶対に空港に到着してないとこの旅メインのインドネシアに行けなくなっちゃう。まずここから長距離バスターミナルに行くまでの金がない。晩御飯の金がない。ビールを飲む金がない。絶賛道に迷ってて、自分の現在地が分からない。宿に帰れるかもわからない。そもそも宿代まだ払ってない。頻繁に道に迷う私の最後の頼みの綱のタクシーにも乗れない。うごごごごご。

f:id:kazumi1000:20160413202016j:plain

 人に聞いて、何人にも聞いて、汗だくで歩き回って、やっぱり別の両替商もクローズで、そうだ、ある程度のホテルのフロントならレート最悪だけど両替えしてくれるじゃん!と思って豪華そうなホテルにやっとたどり着いたけど、両替えしてません、って、マジですか、なんでですか?うわーーーーん!!

 

 お金がなくなったらわたしって、どうするんだろう??って余裕ぶっこいて思ってたけど、お金なんかイリュージョンだよんって余裕ぶっこいてたけど、お金がなくなったら私はどうするか? 正解は!? 

f:id:kazumi1000:20160513163149j:plain

途方に暮れて泣く、でした。

越後製菓もびっくりだよ。

 

でも、何故か心の奥底には「大丈夫」って思いが強くあって空港までヒッチハイク?か南京玉すだれで稼ぐ?いっそここに住む?とかやたら冷静に考えてる自分もいて。だけど表面の自分はやっぱり不安で・・・。

 

 

不安という名のプレイ

そしたら急にこの感情を感じていたいって思った。この、不安でおしっこちびりそうで、疲れてて、暑くて、とっくに日が暮れてて、宿までの帰り道も分かんなくてやたら暗い道歩いてるし、サイズの合わないクロックスで歩きまくるから足の生爪剥げかけててめっちゃ痛いし、そんな状況を軽く面白がってる自分もいたりして、なんやねん、どないやねん、うわーん、なんだけど「どうせなんとかなるし」どうせ「私が」なんとかするんでしょ、って、深い所で自分を信頼しきってて、安心して不安で半泣きになってるという。

 

この感情のオンパレード。矢継ぎ早の精神攻撃。ここまでくるとプレイです。不安なんて所詮プレイです。気のせいです。そう思うと完全に開き直れます。「対処法だけ」考えれるようになります。

 

 

結局それかーい

 最終的に絶対使いたくないって感じのヤバそうなATMで現地通貨をキャッシングすることに。借金だけは(キャッシングだけは)したくない!ましてやこんなヤバそうなATM使いたくない!クレジットカード戻ってこないパターンしかイメージできない!やだー、って言ってる場合か!

 

あれ?やり方全然分からん!単語の意味が分からん!!!はあ???なんだこの単色のタッチパネル。なんだ、なんだああああ??

 f:id:kazumi1000:20160509060318j:plain

うしろ振り返って半泣きで見知らぬ人に「へ、ヘルプミー」助けを求めて一緒にやってもらった。怖くないの?暗証番号とか大丈夫?とか、後日いろいろ聞かれたけど切羽詰まりすぎて一切考えなかった。 たまたま次に並んでただけの全く知らんマレーシア人を全力で信頼した。こういう時は気迫がすべて。 一瞬の悪意が入るスキを相手に与えない。あなたを信頼してますからね、と激しく圧倒する。それで嫌な目にあうならその時はもう、しゃーない。わたしの眼力と気迫の敗北だ。相手は一切悪くない。相手のせいにはしない、と決めている。それにそもそもマレーシア人は基本的に親切。

 

 

それでもやっぱり会いたい。

わたしのやっていることは非生産的で無意味で次へのステップにもなんの役にも立たないことだらけ。けっこう幸せに日常を暮らしてるのにある時期がくると腐って死ぬか旅かの2択になる。自分でもよく分からない衝動。よく分からない追い込まれ方。落ち着けない。たぶんわたしは知っているのだろう。そうとしか言いようがない。行くべき場所、会うべき人。旅先で別に何してるってわけでもない。だけど出逢う。それが何かそれが誰か分からないけど会いたい。

 


おススメしない旅・・・・。

この感じだとつづくっぽい。知らんけど(^▽^)/

 

 

***わたしにとってだけの正解。わたしにいま見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebook: https://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000
 Twitter: https://twitter.com/kazumi10000

Facebookでのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに♡

*******************************

 【この後のインドネシアでの気づきはこの2本】

地に足をつけて生きなさい、と同級生にめっちゃ叱られたはなし。なんのために生まれて、なにをして生きる? - ごろ寝発電

旅も日常の続き。日常も旅の続き。 - ごろ寝発電

 

【「おススメしない旅」バックナンバーはこちら(^▽^)/】

おすすめしない旅#01 バンコクの安宿にて - ごろ寝発電

おすすめしない旅#02 関空出たら・・・・。 - ごろ寝発電

 

【一番読まれているのはこれ】

kazumi1000.hatenablog.com

 

熊本にて。5月の風と目にしたものと見えてるもの。現地との温度差。一つの終わり。

f:id:kazumi1000:20160509043329j:plain

GWは熊本に帰省。まさかこんなに早くしかも九州新幹線で帰れるとは!座席は自由席でもグリーン車並みのシートで超快適。ご利用ください。

 

街はあれから3週間経っているので市電も動いてるしいつもの風景と基本的には変わらない。だけど道路に修繕したての亀裂の後があったり、きちんと片づけてはあるものの建物の一部や塀が崩れていたり、倒壊の恐れありの紙が貼られてたり、ボランティア村ができてたり、店の営業再開がいつになるか分からなかったり、自衛隊の特殊車両が並んでたり。

 

非日常な空気と相変わらずののんびりした空気とが混在していて不思議な感じ。10代の頃のスイートな思い出がぎっしり詰まった熊本城の姿を見た時は言葉を失ったけどニュースで見た時の精神的ダメージとは違って、「そうか、こうなったか。分かった。で、私はどうしたらいい?」って思考が完全に「再建」に向かって動きだした。

f:id:kazumi1000:20160509060427j:plain

 

翌日友人宅に行くために被害が大きい益城町を通過。隆起した道路。半壊、全壊した家屋。まっすぐになっているものがなくて平行感覚が分からなくなる。

 

友人からは通行止めも多いし渋滞もすごいから何時間かかるか分からんよ。気を付けて来てね。と言われていたので夫とかなり早めに車で出発したがその日は渋滞もなく拍子抜けするぐらいあっさりと着いた。益城の道をまさか通れるとも思っていなかったので驚いた。

 

 

復旧のスピード

とにかく復旧のスピードが早い。2度の強い地震で弱くなったところに頻発する余震で道路に新たな亀裂が入って通行止めになってても夕方には修復して通れるようになっていたり、壊れても、壊れても、修復する。少しづつ少しづつでも確実に通れる道が増えていったそうだ。私たちが通った道路は5月4日時点でどこも通行可能になっていた。南阿蘇方面の道路はまだまだ時間がかかるだろう。だけどこれも1日違うと全然違うから明日はもしかしたらメドがたってるかもしれない。

 

f:id:kazumi1000:20160509042921j:plain

全国からプロが来てライフラインを修復し検査をし全容を把握していく。早いスピードで修復していく光景が与える希望と安心感。本当にちょっと場所が違うだけで被害も復旧状況も大きく違うから一概には言えないけれど。今だって車中泊の人も避難所の廊下で寝ている人もいる。自分が見た感じたしかもその時点の範囲のことしか言えない。

 

 

一番多く聞いた話

 一番多く聞いたのは「してくれたこと」に対する感謝。いろんな人が『地震怖かった』の次に『してくれたこと』を口にする。「不満」よりも「ありがたやー」。本人も被災してるのに家や家族を置いて業務についている人たちへの、自衛隊の方々への、スペシャリストたちへの、ボランティアへの、心意気ある企業への。あれをしてくれたから助かった、って話をほんとによく聞いた。いろんな場所でいろんな人から。

 

今はまだ大丈夫だけど家の修繕費の見積もりが上がってきたら泣くかもね。と友は笑っていたが、そうだね。これから先、だね。いろんな人たちの人生計画が変わっていく。 

 

 

いま、揺れたよね

余震はだいぶ落ち着いてきたとはいえ、滞在中も何度か揺れた。その都度みんな「いまのは3だろ?」「いや、2じゃない?」「テレビつけろー」「あー、2だった」みたいな会話になる。震度当てのプロ。で、そのことを指摘するとみんな照れたようにあははと笑う。この感覚。どんな時もシリアスになりすぎないということ。

だけど、昼間笑ってる子供も大人も夜寝れなかったり、ちょっとした物音に敏感になっている。そしてこれも個人差がとても大きい。

  

f:id:kazumi1000:20160509055649j:plain

 

全国放送とローカル番組の温度差

 

テレビ見てて東京のスタジオと熊本でテント村作ってる野口健さんの温度差がすごかった。クレームを最小限にしたい空気のスタジオと(仕方ないよね。何言っても叩くからね。こういう時は。)自分の在り方、やり方に腹をくくってる野口健さんの違いがすごすぎた。もう、はっきりと感じてしまった。どっちがいいとか悪いとかじゃなくって、違い。シリアスに「大変ですね。大変な現場ですね」を全面に押し出してくるスタジオに対して


「いかにココを楽しい雰囲気にするかですね」「あー、大雨でも大丈夫ですよ。(作業)やれます」「屋外で作業してるとあんまり余震って気が付かないんですよねー」のほほーん♡


いかにこの状況下で神妙な顔をせずにいられるか。うるさい外野を無視できるか。被災地で歌えるか。楽しくしようとできるか。思いを、自分を、貫けるか。

 

野口健さんはガチ。ガチの人。自分の「在り方」を持っている人。自分自身を生きてる人。「えー、だってそうでしょ?なにがあかんの??」みたいな。だから軽やかだし、ここぞとばかりにどうでもいい不満をぶつけてくるだけの外野なんて、それこそどうでもいいのだろう。シンプル。

 

 「見ることは背負うこと」野口健

 


ネパール地震の時もそうだったけど、今回も野口健さんがすぐに手を挙げてくれたので、自分にできる限界MAXの金額を速攻で健さんのNPOに送った。誰に託せばいいか分かるっていうのはありがたい。

 

熊本ローカルの情報番組はけっこう冗談言って笑かしてくれる。車中泊の方に向けた熊本弁のラジオ体操とか死ぬほど笑った。出演者も避難所からTV局に通ったりしてるんだけど笑かしてくれる。被害のなかった県内エリアでのイベントや祭りも「こういうのは大事ですよね」って全肯定だ。自粛なんかより日常を取り戻したいのだ。これまでのように。普通の日常を。笑って暮らせてた当たり前だったいつもの日常を。

 

だけど大きな会場やホールが損壊したり検査で多くのコンサートやイベントが中止になっている。こっちじゃやりたくてもやれないだけなのに自粛で東京のイベントが中止になるとかなんでですのん???

f:id:kazumi1000:20160509060318j:plain

 

屋根の上で五月の風に吹かれる

夫が実家の屋根の上に登って作業してくれているときに小さな余震があった。業者さんが圧倒的に足りないので自分たちで屋根に上って修理中に転落し頭の骨や腰の骨を折って入院している人の話をたくさん聞いていた。ひやっとした。大事なものはそう多くはない。


作業が完了し私も屋根にのぼって夫と二人で屋根からの景色を見ていた。不思議な感覚。屋根なんてのぼった記憶がないのにノスタルジー。夕日が落ちていく。5月のいい風が吹いていた。突然、腹の底から思った。

 

 

必要なものはすべてある。

比較ではない絶対的幸福感、それがすべて。

 


わたしにとって実家は苦手な感じで変な違和感があった。なぜだか急にそれが屋根の上で風に吹かれて全部溶けて「ここが私の基盤なんだ」と強く思った。

同時にこれまでどれだけ自分が愛されて生きてきたか思い知った。自分がどれだけこの地を出逢った人たちを愛しているか思い知った。どれだけ自分が勝手に拗ねて愛情を受け取ってこなかったかを思い知った。

 

地震をきっかけにしばらくの間「もともとあったのにフタしてて気づかなかった感情」が噴出していた。そりゃもう、ブラックでしたよ。いままでスルーできてたわずかな濁り。これまでは誤魔化せてたわずかな違和感。もう、それさえもだめなんだな、たとえわずかでも見逃してくれないんだなと思った数日前。その流れでこの腹落ち。点が線につながる瞬間。この瞬間を頻繁に経験すると完全に確信が深まる。なにがあっても大丈夫。もともと大丈夫。

 

f:id:kazumi1000:20160509175231p:plain

 

熊本から帰ってきて、全てが変わった。なにも変わってないのに、見えているもの全てが変わった。


すべて、ある。
すでに、ある。

 

もはや外になにかを求める必要はわたしにはない。「自分のこと」は終わったのだろう。

 


***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebook: https://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000

Twitter: https://twitter.com/kazumi10000

***FBでのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに***

  

kazumi1000.hatenablog.com

 

 

 

熊本・大分地震と熊本県民気質。力が湧く瞬間。未来から風は吹いている。

 

熊本はわたしの出身地であり、実家があり、家族が、親戚が、友達が住む故郷だ。
よく知った場所が突然「被災地」という呼び名に変わった。熊本の友が送ってくれた地震後の2つの写真。最近建てたマイホームの中で家具は倒れモノが散乱しぐちゃぐちゃ。よくぞご無事でって言葉につまる写真。そしてもうひとつはその翌日の写真。

 
驚愕した。

 
あの惨状をあっという間に片づけている。ピアノもふっ飛んだという、めっちゃくちゃなあの状態を!余震の中たった1日で!!


なんという安定感。
なんという生活力。
なんという生命力。

 

力、湧いたよ。

 

初日は家の前の道路で寝て、それ以降も余震があるから夜は車で寝ているらしい。子供はまだ小学1年生。被災もしていないのに胸を痛めすぎてメンタルやられてた私の方が逆に勇気づけられた。何やってんだと目が覚めた。地に足の着いた日常生活を送る者のド迫力。淡々と力強く笑顔も交えて片づけている友の姿が目に浮かんだ。 地に足の着いた「生活者」の姿が在り方がこんなにも心強いものだとは知らなかった。こんなにも力を、勇気をくれるものだとは知らなかった。

 

 

熊本県民気質

非常にざっくりとした傾向だがよく言われるのは一般的に熊本県民は「新しいモノ」好き。それと良くも悪くも田舎の人なので「ほっといてくれない」。これは常時はめんどくさいものだが、有事の際これほど安心できるものはない。よってたかって助け合うだろう。それと独立の気風がある。以下ウィキペディアより抜粋。

薩摩では、大きな提灯を掲げた強力な指導者が現れた際には皆がこぞってついていくが、肥後では各々が兜をかぶり大将気取りで一致団結することがないため「薩摩の大提灯(おおぢょうちん)、肥後の鍬形(くわがた)」と言われる。また、薩摩の大提灯と比較して、肥後では各々が腰に提灯をつけ単独行動をとる(以下略)

この鹿児島(薩摩)の公の精神というものが明治維新を成立させたのは言うまでもない。そういう意味では勝手にやっちゃう熊本県民(肥後)というのは従来型組織においてはめんどくさい使えない人たちなのかもしれない。こだわりの強い個人商店主が向いている。しかし、時代は「わがまま」にシフトしてきている。各個人が個人商店主として、一人ひとりが主人公の時代が到来しそうだ。そう考えるとひょっとするかもしれない。

 

 

未来から風は吹いている

新しいもの好きで勝手にやっちゃう人たちが住む街。この場所から「新しいもの」や「新しい価値観」が生まれる又は根付く可能性がある。あれは産みの苦しみであったと後から思えるようになる可能性がある。


未来を見据えた時、未来から現在を見た時、現在の意味さえ変わる。逆の時間軸。未来から風は吹いている。量子の世界では未来は過去に影響を与えるらしい。


「かわいそうな」「たいへんな目にあった」「気の毒な」「被災地」としての熊本ではなく、破壊されたが、再生する、復旧を超えて「新しいもの」が生まれる「可能性」を秘めた場所としての熊本。そんな風にみることはできないだろうか?働きもののくまもんもいる。蒲島県知事を人として信頼している。離れている者も住んでいる者も熊本県民の郷土愛は関西人のうちのだんなが毎回ドン引きするほど熱い。


「大丈夫だ」「たとえどんな状態であろうが大丈夫だ」と信じる前提でそういう目線で見たときにできる支援は変わってくると思う。「かわいそう」ベースではないもの。大丈夫だから支援は要らないと言っているんじゃない。支援は要る。絶対的に必要だもん。 

f:id:kazumi1000:20160419134102j:plain

 

自粛も罪悪感も無力感も要らない

「 いますぐ」に必要とされていることと「長期的」に必要とされることは違う。だから今、自分はなにもできないと無力感にさいなまれる必要もない。自分だけがご飯食べてていいのかなと罪悪感に苦しむ必要はない。出番はくる。そこまではこっちはこっちでちゃんとご飯を食べて自分の出番に備えておくことも大事だろう。冷静に状況を見極める。体力温存。テレビの「自粛」っていったい誰が誰に向かってやってんの?なぜだか気持ちも信念も感じられない。要らん。

 


何を乗せて送るのか

不安ベースではなく希望とかふんわりした優しいきもちベースの応援や義援金♡。なにを乗せて相手に送るのか。不安と悲しみか。ふんわりした優しいものか。あわれみか。どんな想いを乗せてお金を送るか。どんな空気を気持ちを同封して物資を送るか。いったい何を伝えたいのか。なにが伝わるのか。あるいは伝わってしまうのか。そしてどんな未来を希望を描くのか。例えば坂口恭平の言う『0円生活圏』とかね。それは新しい生き方。新しい価値観。

 

 

自分を保つことが被災地のためになると信じる

 わたしの愛する坂口恭平は家族を連れて熊本の避難所から横浜に脱出した。賛否あるらしいが否の意味が分からない。まっとうな判断だと思う。余震を長期的にくらっていいことなんか一つもないだろう。出られる人は出た方がいい。いったん退却。さすがだ。

twitter.com

 

避難所は800を超える。車で寝泊まりする人も多くエコノミー症候群も心配だ。水道やガスが復旧していない場所、物資がいまだ不足している場所もある。しかしそこでも美しい光景が繰り広げられているという。いろんな人が助けあい、励ましあい・・。SNSでは今も誰かが必要な情報を発信したり拡散してくれている。友も親もこんな時でも笑ってる。共に乗り切りましょう。どんな姿になろうともふるさとだから。


「いま」の意味はいつだって変えられる。
少なくともわたしはそう信じる。 

f:id:kazumi1000:20160412144125j:plain

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

Facebook: https://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000

Twitter: https://twitter.com/kazumi10000

 LINE: tsuji100

*************************** 

 

 

 

 

「ときめくもの」まで捨てた先。THEエクストリーム断捨離

先日、謎の盛り上がりで突然持ち物の断捨離を決行。こんまりさんの片づけ方法で。1つ1つ手にとって「ときめく」「ときめかない」ってチェック。「ときめくものだけ残す」「ときめかないものは捨てる」っていう例のやつ。

 

で、だんだんやってく内に、何故か「ときめくもの」まで捨ててしまええ!ってロックな自分が登場。ばばーん。で、「ときめくもの」まで捨てるんかい!と思ったら楽しくなっちゃって、笑っちゃってウキウキ。

 

そしたら案外捨てれる、捨てれる。「ときめく」もの、サクサク捨てれる。バンバン捨てれる。むしろ捨てやすい。なんなら捨てやすい。そんなこんなで「ときめく」ものまで捨ててやったぜ。ワイルドだろ?


で、最終的にどうしても捨てれなかったものたちをじいーーっと見てた。で、気づいちゃった。

 


最終的に残ったもの

素敵なものも捨てて、ときめくものも捨ててその上で、どうしても捨てれなかったもの、最終的にわたしが残したものって、『雑に扱ってもいい』『気楽な』ものたち。

 

雑に扱ってもいい気楽な「ほどほど」のもの。そんなにお気に入りじゃないけど、まあ、いいか。むしろこのくらいが使いやすい。このくらいが気楽。汚れたりほつれたり、どうにかなっても諦めつく。

 

ほどほどな、「そこそこ好き」なものは捨てれない。だってこれが一番使うもん。使いやすいもん。「そこそこ好き」なものはとっても気楽。

 

 

自分に対する評価の2重構造

 「雑に扱ってもいい」「そこそこ」なものに囲まれている自分。これって自分への扱いと同じなんだろう。「自分なんてこんなもの」「そこそこ」でおっけー。それがまず1つ。しかし注目すべきは「簡単に捨てた素敵なもの」の方だ。

 

大事なものは汚したくない。飾っておきたい。大事なものを使って汚したりするのがイヤすぎて扱いづらいから使わない。どうせ使わないんだから捨てちゃおう。この矛盾。

大事にしすぎるあまりに扱いに躊躇するからむしろ捨てれる。そのくらい大事ってこと。で、それをガシガシ使えないのはなんでだ??これこそが自分に対する扱い。

 

雑どころかむしろ「大事に思い過ぎて」扱えないというこの屈折した感情。


とにかく汚したくない。傷をつけたくない。普段使いは無理。じゃいつ使うの?ほとんど使わない。捨てましょ。

 


はい、出ました。大事なもの=自分の能力または可能性

能力も「そこそこ」使うぐらいがちょうどいい。「能力全開」「自分全開」ってなんか怖い。めっちゃ怖い。「本気」で生きるのが怖い。ずっと「まだ本気出してないだけ」って言い訳していたい。言い訳できる余地を残しておきたい。まるで人生を諦めたようなふりしていたい。コンフォートゾーンにとどまっていたいだけ。

 


「本気」で生きてもし失敗したら???
「本気」で何かやってもし失敗したら???
「全開」でやってみて実は大したことなかったら??

 

 

立ち直れない
かっこわるすぎる
そんな自分を見たくない
そんな自分を人に見せたくない
そんな自分を愛せないかもしれない

怖いよーーー。

 

 

これだす。これでやんす。
これ、隠れてたっぽい。

 


そっかー。このブレーキかー。なんだよー。心配すんなよー。このこの~。ダメダメでも、意外と能力なくってがっかりでも、どんな時でも私はわたしを見捨てない。大丈夫だよー。大丈夫。と自分に言ってあげる。何度でも。


「自意識」ってほんとめんどくさい。
だけど自意識まるごと自分を見捨てない。f:id:kazumi1000:20160412132749j:plain

結局なんだかんだ自分が好き

 自分を粗末に扱うどころか「汚す」ことを「傷つける」ことを極度に恐れて「大事にしすぎて」未使用で終わる。未使用で終わる人生の方が怖くない。自分を突き付けられずに済む。それもアリ。全然アリ。「そこそこ好き」な人生ばんさい!その幸せを否定しない。毎回グラつく。だけど。だけど。わたしは自分を生き切りたい。使い切りたい。次に行きたい。ときめいていたい。ビビってる場合じゃない。くー、なんか、ヒリヒリするなあ。

 

 

あと恐ろしいことに、自分の能力全開が、100%の本気が、自分の想定を超えるスペックだったら自分で受け止めきれないかも、すごすぎて扱えないかも、という謎の恐怖もあったりしてね。自分の能力に恐れおののく、みたいな。屈折した自信。その場合はもう、自分にひれ伏しちゃえ、やね。

 


ダミーがあるから気づきにくい。
だけど何だって突き詰めれば、どこまでいってもそれが「大事」だからとか「だって・・・大好きだから」みたいなそういう「かわいい本音」しか出てこない。だから自分を責めることは一つもない。ないっす。

 

 

それにしても・・・・。

 


捨てすぎだ。

残った服は喪服と2日分の服と判断不明だった着物だけ。


どうしたものか。
明らかにやりすぎだ。
とにかくさっさと下着を買いに行かなくちゃ。
まあ、当たり前だけど、ときめくものは残した方がいいと思います。


仕方がないのでしばらくは基本着物になりそうです。または喪服?
意外な展開。
着物生活、はじまる。 

f:id:kazumi1000:20160412132812j:plain

***わたしにとってだけの正解を生きる********

辻 和美 ツジカズミ 

Facebook: https://www.facebook.com/kazumi.tsuji.1000
 Twitter: https://twitter.com/kazumi10000
   LINE: tsuji100

***Facebookでのコメントは誰でもできます。打たれ弱いのでお手柔らかに***

 

いらっしゃいませ。どうせならこれも読んでって(^▽^)/

kazumi1000.hatenablog.com

kazumi1000.hatenablog.com