ごろ寝発電

”experience is everything" 辻和美というサンプル。

クアラルンプールの雑踏にて後ろ姿で全てを語る男、坂爪圭吾さんのこと。誰かの影響を受ける、ということと自分の道を歩くということ。

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タンポポの綿毛のようなフットワーク(仮称)@クアラルンプール

クアラルンプール(以下、KL)でいばや通信の坂爪圭吾さん、台北在住の大胡田真隆さんとインド人街を無目的に散策するという簡易イベントを見つけて、「無目的に散策」というワードに惹かれた。

イメージ的に1時間ぐらい一緒にインド人街を散策して解散って感じかなーと思ったら

①あ、行きたいと思って 

エアアジアを調べると直前は高いはずなのになぜか格安、しかも残席1。

③その場でだんなに「自由の風を浴びにKL行ってきていい?」「全くよくわからんけどいいよー」。家族の理解クリア 

④速攻でチケットを押えて、

⑤宿もおさえて、

行こうかなと思った瞬間からジャスト1時間で全てが整っていた。

 

無目的な散策のためだけにフライトしちゃう自分が愉快で、これが本来のわたしなんだなーと非常に「しっくり」きた。
あ、行きたい!から5日後にはKLの街を歩いていた。

ibaya.hatenablog.com

 

KLはちょうど去年の今ごろに初めて訪れた。

この街の雑踏をビビりながらも一人で歩く感覚がめちゃくちゃ好きで、ひょんなことからマレーシア人の友達もできたりしてたので、なるべく早くまた行きたかったし、自分自身煮詰まってた時期だったしちょうど良かった。 

 

●誰かの影響を強く受けるということとわたしを生きるということ

誰しも人生が大きく変わるターニングポイントと出会いがあると思う。

ある人との出会いで今の方向に行きたいと思い、決心して、会社を辞めて、言葉にできないけどなんとなくこの方向、と思って歩き出してしばらくした頃「いばや通信」と出逢った。 

読んで、うおおおおおおおお!キターーーー、時代きた!これだ!!と思った。

特に心を鷲掴みされたのが”崖っぷち書道の始まりです”という短いコメントと崖っぷちに紙が敷かれた写真2つ。私の家を紹介します。と書かれて写されたテント。


なに、なんなん?この人。すごすぎる。ピンポイントすぎる。
これがわたしが求めていた感覚だーーー!!
こんなんめっちゃ好き!!!!!
今思い返してもあの時の喜びとやっと方向が見えてきた感は強烈だった。

見つけたのはイケダハヤトさんのこの記事

www.ikedahayato.com

 

イケハヤさんを知ったのも移住したくて移住について調べてて知った。そしてその数日後にこの紹介文を目にすることになったのも今思えば感慨深い。

時期的にわたしは「いばや通信」を空港のロビーか東南アジアの国々でバックナンバー含め読んでいた。

11月に帰国して、機会があればお話会に参加したいなーと思っていたがタイミング合わず。12月和歌山での会を知り(しかもダイレクトに坂爪さんにLINEで聞いて教えてもらうというのどかな時代)初めてお話会なるものに参加。


人数も少なかったし、会場もよくわからんし、主催者(坂爪さんではない)遅刻してくるし、めっちゃ寒いし、で、なんかすごいな、と思った。

 

この日、わたしは衝動的に1万円札を破ったんだったよなー。
これがきっかけで同じく衝動で動く女、ごとうなおみちゃんとご縁がずっと続いている。彼女も同じ時期に同じようなこと感じてて嬉しかった記事

nao38.exblog.jp


で、この日はほとんど坂爪君は携帯をいじっていて、こう、不思議な感じだった。
まあ、それはそれで他の方の非常に興味深い話(めっちゃ面白かった)が聞けてすごく良かったんだけど。

でも、これってすごく重要で、要はあまり坂爪君に対して質問がなかった、ということだ。もちろん私も質問していない。

 

他の方がどうだったのかは全く分からないが、わたしはただ会ってみたい、という気持ちで参加したけど、そういえばいったい私は何を求めてここに来たのだろう??

もしかしたら

なんかいい感じの教えを坂爪くんに「もらえる」のを期待して?

 

有益なアドバイスを「もらえる」のではないか、
「あー、わたしもおなじこと考えてるんです」
「わたし、ちゃんと分かってるんです。すごいでしょ、認めてください。」
教えてください、何かください、同類ですね、と言ってください、くださいください・・・・。

いったいわたしは坂爪圭吾に何を求めていたのだろうか。

 

このときは、わたしはわたし自身を生きつつあったがまだまだだった。
まったく腹もくくれてなかった。
そしてそのことに気づいていなかった。


●「問い」としての坂爪圭吾

 そんな感じでその後何回かお話会も参加させてもらったが、
そのころからは私にとって坂爪圭吾は「問い」になっていた。
精度の高い本質をついてくる「問い」。
向かう方向は全て自分自身だ。


坂爪君自体がどう、とかは関係ない。答えも欲していない。
だんだん答えをもらうんじゃなくて自分で探したい、と思うようになっていた。
まあ、自分で探すしかないのよね。
人はみんな違うから。

 

これまで正解を求めていたことにも気づく。
これって正解ですか?

 

ほんとうは違うって言われても知ったことじゃないのにね。
わたしが出した答えが他の人やすごい人たちとは違ってもみーんな正解なのだ。
絶対的な正解なんてありえない。
自分で探して自分で決めるしかない。


クレムリンウスペンスキー大聖堂

 今年の5月にロシアに行った。
ウスペンスキー大聖堂の中で壁のフレスコ画やイコン像を見ていたら何故か急に坂爪君を思い出した。そしてあー、そういうことかーと思った。


常々坂爪君に対して必要以上に誹謗中傷をしてくる人がいる、ということを聞いて
そんなことする人の意味が全く分からなかったのだか、この空間を感じていて分かった。

坂爪くん、関係ないじゃん。

 

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坂爪圭吾という現象がある。実際は生身の人間で、人よりも鋭い感受性を持った、べらぼうに記憶力のいい、が、しかしただのお茶目な青年なんだけど、とりあえずここでは現象ととらえる。

その現象に対してある人は称賛し、ある人は嫉妬し、ある人は自分と比較する。
ある人、というわけでもない。同じ人でも、その時の自分の置かれた状況しだいで抱く感情は違う。

そこにあるのは人間の感情の見本市。感情のサンプル。

 

キリストの絵もキリスト自体は全くどうでもよくって、
キリストに”対して”人々はどう感じ、どう行動したのか、そこに人間の本質や
根源的な感情と行動のサンプルをみた気がした。


そしてそのすべての感情は大なり小なり
自分の中にもあり、環境や状況や自分の在り方でその大小は変動する。

不完全で滑稽でちっぽけな愛しい存在のわたしたち。

 

上手くいえないんだけど、そういう生身の人間そのものが
むき出しになっていて、そしてそれを「表出させる」のがキリストという存在だった、
ということなのかな、と勝手に解釈した。

ああ、そう考えると許されるよね。
どんな感情も、それでいいんだよ。

不完全で滑稽でちっぽけな愛しい存在のわたしたち。

 

書きながら、何かわけのわからないすごい愛に包まれた感じがしている。
と同時にいろんなことが肯定できる。なんだ、この感覚。

あー、わたし、なにやってもいいんだね。
それを感じるためにもがいてたんだね。

本当はもっといろいろ書きたかったけど、勝手に結論がでてしまったので
いったんここでちぎる。

 

●後ろ姿で全てを語る男

結局当日はヘイズ(煙霧)の影響で空気が悪すぎて散歩はやめて
みんなでお昼ご飯食べて、カフェでお茶となった。
わたしはごださんとべーあーさんとお話できて、すごく楽しかった。

 

ごださんの周りをリラックスさせる雰囲気と面白すぎるトークと誠実な感じに
この人男にも女にも、めっちゃモテるんだろうなーと思った。

 

坂爪圭吾を陰で操る男、べーあーさんの発する言葉も深みがあって、自分の芯がしっかりある感じで、その発言は何回かメモをとりたい衝動に駆られた。そして衝撃の荷物の少なさに痺れた。

 

この2人はなんと1泊2日でKLに来ている。負けた。気持ちいい。

 

他の参加者も日本からひょい、と来ちゃうフットワークの軽い素敵な人たちで、
絶対またどこかで会ってじっくりお話したい。KL在住の方も漂う雰囲気がキラキラしてて、好きだなーと思った。 

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で、お茶して解散、駅まで向かいましょうと歩いていたときそれは起こった。

 

なんとなく前を歩く坂爪君の後ろ姿をみた。
KLの雑踏の中でそれは紛れそうで、しかしすっくと立っていた。
孤高な後ろ姿だった。
めっちゃかっこよかった。
自分で自分の道をずんずん歩いて切り開いていく人の姿だった。
KLの雑踏にとてもよく似合っていた。
その瞬間にロシアで見た壁画やいろんなものがバババッと繋がった。


彼はこんな感じで進んでいくのだろう。
じゃまくさかったら時には説明不要でずんずん進んでいけばいいと思う。
ときどきわたしたちはブログを通して彼が見た世界を知る。

 

そしてわたしはわたしの道をわたしの見たい世界に向けてずんずん歩いていこう。
もう、誰かの後ろをついて行ったりしない。
認めて欲しくて誰かにしっぽ振ったりしない。


もし世間のしくみから外れて叱られたとしても、わたしはわたしを生きたい。
他の誰でもない、わたし自身でありたい。
どんな時でも、ほんとうにどんな時でも、わたしだけは私を見捨てない。

 

スキップしながら歌いながらタンポポの綿毛のように飛んでいきたい。
会いたい人に会って、もっともっと自分の人生を味わいたい。

そして自分の道を歩く人たちと
偶然どっかで会ったりして
ハイタッチなんてできたら最高だと思う。

私たちは、「自分の道しか」歩けないのだと思う。


さて、行くべ。
それぞれにそれぞれが見てみたい世界へ。

望むならどこへだって行ける。
迷ったら、ヤバイ方へ。スキップで。

 

 

***「今のわたし」にとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

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