ごろ寝発電

”experience is everything" 辻和美というサンプル。

熊本・大分地震と熊本県民気質。力が湧く瞬間。未来から風は吹いている。

 

熊本はわたしの出身地であり、実家があり、家族が、親戚が、友達が住む故郷だ。
よく知った場所が突然「被災地」という呼び名に変わった。熊本の友が送ってくれた地震後の2つの写真。最近建てたマイホームの中で家具は倒れモノが散乱しぐちゃぐちゃ。よくぞご無事でって言葉につまる写真。そしてもうひとつはその翌日の写真。

 
驚愕した。

 
あの惨状をあっという間に片づけている。ピアノもふっ飛んだという、めっちゃくちゃなあの状態を!余震の中たった1日で!!


なんという安定感。
なんという生活力。
なんという生命力。

 

力、湧いたよ。

 

初日は家の前の道路で寝て、それ以降も余震があるから夜は車で寝ているらしい。子供はまだ小学1年生。被災もしていないのに胸を痛めすぎてメンタルやられてた私の方が逆に勇気づけられた。何やってんだと目が覚めた。地に足の着いた日常生活を送る者のド迫力。淡々と力強く笑顔も交えて片づけている友の姿が目に浮かんだ。 地に足の着いた「生活者」の姿が在り方がこんなにも心強いものだとは知らなかった。こんなにも力を、勇気をくれるものだとは知らなかった。

 

 

熊本県民気質

非常にざっくりとした傾向だがよく言われるのは一般的に熊本県民は「新しいモノ」好き。それと良くも悪くも田舎の人なので「ほっといてくれない」。これは常時はめんどくさいものだが、有事の際これほど安心できるものはない。よってたかって助け合うだろう。それと独立の気風がある。以下ウィキペディアより抜粋。

薩摩では、大きな提灯を掲げた強力な指導者が現れた際には皆がこぞってついていくが、肥後では各々が兜をかぶり大将気取りで一致団結することがないため「薩摩の大提灯(おおぢょうちん)、肥後の鍬形(くわがた)」と言われる。また、薩摩の大提灯と比較して、肥後では各々が腰に提灯をつけ単独行動をとる(以下略)

この鹿児島(薩摩)の公の精神というものが明治維新を成立させたのは言うまでもない。そういう意味では勝手にやっちゃう熊本県民(肥後)というのは従来型組織においてはめんどくさい使えない人たちなのかもしれない。こだわりの強い個人商店主が向いている。しかし、時代は「わがまま」にシフトしてきている。各個人が個人商店主として、一人ひとりが主人公の時代が到来しそうだ。そう考えるとひょっとするかもしれない。

 

 

未来から風は吹いている

新しいもの好きで勝手にやっちゃう人たちが住む街。この場所から「新しいもの」や「新しい価値観」が生まれる又は根付く可能性がある。あれは産みの苦しみであったと後から思えるようになる可能性がある。


未来を見据えた時、未来から現在を見た時、現在の意味さえ変わる。逆の時間軸。未来から風は吹いている。量子の世界では未来は過去に影響を与えるらしい。


「かわいそうな」「たいへんな目にあった」「気の毒な」「被災地」としての熊本ではなく、破壊されたが、再生する、復旧を超えて「新しいもの」が生まれる「可能性」を秘めた場所としての熊本。そんな風にみることはできないだろうか?働きもののくまもんもいる。蒲島県知事を人として信頼している。離れている者も住んでいる者も熊本県民の郷土愛は関西人のうちのだんなが毎回ドン引きするほど熱い。


「大丈夫だ」「たとえどんな状態であろうが大丈夫だ」と信じる前提でそういう目線で見たときにできる支援は変わってくると思う。「かわいそう」ベースではないもの。大丈夫だから支援は要らないと言っているんじゃない。支援は要る。絶対的に必要だもん。 

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自粛も罪悪感も無力感も要らない

「 いますぐ」に必要とされていることと「長期的」に必要とされることは違う。だから今、自分はなにもできないと無力感にさいなまれる必要もない。自分だけがご飯食べてていいのかなと罪悪感に苦しむ必要はない。出番はくる。そこまではこっちはこっちでちゃんとご飯を食べて自分の出番に備えておくことも大事だろう。冷静に状況を見極める。体力温存。テレビの「自粛」っていったい誰が誰に向かってやってんの?なぜだか気持ちも信念も感じられない。要らん。

 


何を乗せて送るのか

不安ベースではなく希望とかふんわりした優しいきもちベースの応援や義援金♡。なにを乗せて相手に送るのか。不安と悲しみか。ふんわりした優しいものか。あわれみか。どんな想いを乗せてお金を送るか。どんな空気を気持ちを同封して物資を送るか。いったい何を伝えたいのか。なにが伝わるのか。あるいは伝わってしまうのか。そしてどんな未来を希望を描くのか。例えば坂口恭平の言う『0円生活圏』とかね。それは新しい生き方。新しい価値観。

 

 

自分を保つことが被災地のためになると信じる

 わたしの愛する坂口恭平は家族を連れて熊本の避難所から横浜に脱出した。賛否あるらしいが否の意味が分からない。まっとうな判断だと思う。余震を長期的にくらっていいことなんか一つもないだろう。出られる人は出た方がいい。いったん退却。さすがだ。

twitter.com

 

避難所は800を超える。車で寝泊まりする人も多くエコノミー症候群も心配だ。水道やガスが復旧していない場所、物資がいまだ不足している場所もある。しかしそこでも美しい光景が繰り広げられているという。いろんな人が助けあい、励ましあい・・。SNSでは今も誰かが必要な情報を発信したり拡散してくれている。友も親もこんな時でも笑ってる。共に乗り切りましょう。どんな姿になろうともふるさとだから。


「いま」の意味はいつだって変えられる。
少なくともわたしはそう信じる。 

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***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

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