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ごろ寝発電

”experience is everything" 辻和美というサンプル。

『この世界の片隅に』※ネタバレなし

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とんでもない映画を見てしまった。見た後に呆然とする映画。泣ける、とか、笑う、とか、考えさせられるとか、生きる力をもらったとか、全米が泣いたとか、そうものを超えてそんな安っぽいものをはるかに超えてただ呆然とする。感情の持って行きようがない。多分、これって最上級なんだと思う。「人の心を動かす」のが感動ならばこの映画は最上級なのだと思う。どう感じていいか分からない。ただ、呆然とする。言葉にできない。最上級。

 

 

2月11日は『我フェス』で琵琶湖を歩く予定だった。が、雪だし道が凍って転びそうだったので少し歩いてあとは映画みましょうということで了解をいただいた。フェスの一環として見たのがこの映画『この世界の片隅に』。天気がもち直したので映画を見た後琵琶湖畔を一駅分ほど歩いたけれどあまりの衝撃で言葉も少なく参加いただいた方には申し訳なかった。

 

 

主人公の声をあまちゃんでお馴染みの能年玲奈(のん)がやっていて本当に素晴らしかった。全てがさらっと描かれていて製作者からのメッセージがまるでなにもないかのように何ひとつ押し付けがなく感想のすべてが映画を観るものにゆだねられている。

 

悲しくて悲しくて

とてもやりきれない

この限りない むなしさの

救いはないだろうか 

 

映画の初めの方で流れる音楽。あれからずっと考えている。主人公の「すずさん」を想うとき。自分が知りうる限りもっとも「透明な」自分が出てきた。私にとって新しい領域だ。観る者に新しい領域を開かせるくらい圧倒的なリアリティで心にぶっこんでくる。

 

 

他者への目線の位置。私はこれまでどのくらいちゃんと人の奥にあるものを見ようとしてきただろうか。理解しようとしてきただろうか。ちゃんと「自分」を外せていただろうか。

 

 

「救い」とは何か。悲しさもやりきれなさも虚しさも救いも美しさもすべて「人間である」ということに集約するように思う。「それでも」「生きていく」ということにすべてが集約されるように思う。

 

 

そしてあの「限りない むなしさ」を超えて戦後を超えて今の日本がこの日常があるということを思うとき、とんでもない時代を生きているのだと感じる。悲しみや苦しみや恨みや怒りを「過剰に」煽ることなく、誰かを他国を「過剰に」悪者にすることなく生活者とその内面を表現すること。こんな作品を産みだせる国は実は非常に限られている。

 

 

クラウドファンディングで製作費を集めたというこの映画。片渕監督がこの映画を通して何を伝えたかったのかは分からない。分からないけど受け取った。「すず」という主人公が実在するのだと信じるあるいは信じさせるその一点に向かって描き込まれる当時の美しい風景、街の様子、明るい日常、のんきな笑い、恋、結婚、生活、リアリティ。そして能年玲奈。まあ、すごいです。全く感想になっていないけれど感想にしたくない、そういう稀な映画でした。去年の映画ですがまだ一部映画館では上映されているようです。

劇場情報|Theaterpage Master

 

 

***わたしにとってだけの正解。見えている世界***

辻 和美 ツジカズミ 

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